薬籠中物





薬籠中物



己で纏う鋭利な棘は
秘める思いも直隠し

左近は、投げて寄越された物体が脛に当り涙を堪えていた。
弁慶の泣所にぶつけられたそれは、石同士の擦れたかのような音を出して畳の上に転がった。
「…ず、随分とまぁ…熱烈な挨拶じゃあないですか…」
左近は膝を押さえつつ、入口の三成を見上げた。
三成の背後に掛かる黄味がかった月が、何とも言えず朧に揺めく。
「お前は、薬の様に役に立つ」
三成は自分で起こした惨劇には目もくれず、木で鼻を括ったかの如く言い放つ。
落ち着け、落ち着いて考えろ。
左近は痛みを紛らわせつつ今迄の概略を思い出した。
縦しんば褒められて居るのだとしよう。
それにしたって素直に喜べる状態では無いだろう。
いきなり障子が開き、夜の静けさに乗じた柔らかい風が流れた。
とか思ったら、今度は久しく感じて無かった身体的な痛みを向う脛に感じた。
「…脈絡が分かりません、全く…」
すると殿はしゃがみ込んで俺をじっと見詰めた。
心なしか拗ねている様にも見受けられる。
「…殿、」
今度は左の頬に痺れる様な軽い痛み。
「…疎い奴は嫌いだ」
左近は、ぶたれた頬をそのままに眼を瞬く。
三成はぷいっと立ち上がり、不機嫌そうに障子を閉めて部屋を出て行った。
左近は残していった紙に包まれた物体を、頬を撫でながら拾った。
「…贈り物とか?…」
しかし渡し方ってもんがあるでしょうに…
左近は何重にもされた白い包み紙を捲る。
徐々に形を現すそれは大きさは掌に収まるぐらい。
なのにやたらと重厚感が漂ってもいた。
「…………………」
左近は絶句した。
贈り物と言うには余りに味気無い。
三成が左近に投げ付けた物とは。
「…硯…」
まごうことなき、ただの硯だったのだ。

 * * * 

取敢えず次の日に、有り難く使わせて頂きますと伝えた。
だが何故か、殿は機嫌は斜めのままで。
左近はほとほと困り果てた。
このままではまずいと、自室で硯を眺めてみることにした。
「…殿の趣致を伺える細工の施された…」
普通の硯。
「…試しに墨を磨ってみたが…」
やっぱり普通の硯。
「…字を書いてみても…」
何の変哲も無い普通の硯。
左近は頭を抱えた。
謎解きなんて出来やしない。
唸りながら眉を顰める。
「…何故、殿は拗ねて居られるのやら…」
何時まで硯と睨めっこした所で埒は明かない。
左近には完全にお手上げ状態だった。
「………」
そんなこんなしているうちに、早一日が終わってしまった。

 * * * 

幾日かして、前々からの来訪が約束されていた大谷公がやってこられた。
このところ俺に関してのみ気性の荒かった殿が、久しぶりに嬉しそうにしている。
わざわざ城を出て迎えに行く程にだ。
左近には面白い訳が無い。
「…吉継、久しいな」
「三成大事無いか?」
挨拶もそこそこに、城に帰り出す二人。
少し間を置いて後から追う左近。
殿は積もる話も後が尽きないのか、馬上で談義しては笑っている。
「…蚊帳の外ってね…」
一層のこと止まって、姿が見えなくなってから帰ろうかとも思う。
だが、稚拙な嫉妬だと結局は後を追った。
帰り道、田圃では農民が精を出して蝗取りに懸命である。
日は穏やかに稲を照らし、風が流れて通り過ぎた。
左近はそんな景色を眺めながらぼやく。
早く城に着かないものか…
そしてやっと護衛という肩書きから開放されるという辺りまで帰って来た。
「おや…?」
突然、殿の手前から馬が走ってきた。
殿と吉継公は馬を止める。
「殿、太閤殿下より、今直ぐ馳せ参じよとの命にあります」
三成の顔が曇った。
「…今日は、二人で晩酌の約束をしておろう?…待たせてもらうさ」
だから、行って来い。と吉継公は三成に笑った。
三成は無言で頷き、左近を呼んだ。
「左近、大事な客人だ丁重に城までお連れしろ」
「畏まりました」
その返事を聞くと、三成は早速馬の踵を返して馬を走らせた。
左近はこんなことは良くあるのであまり気にしない。
太閤殿下は奥方の目を盗んでは遊郭回りをする。
それでたまたま近くまで来たら、三成は必ず呼ばれるのだ。
「…いやはや、弱った…」
しかし立場が無いのは吉継公であろう。
主の城の手前。しかしながら当の会いに来た本人がいなくなってしまったのだ。
「…むさ苦しい所ではありますが、私の屋敷に御案内致しまする」
左近は一本調子に言った。
「…済まぬ、そうしていただければ助かる」
いけないとは分かりつつ、嫉妬が抑えられなくて失礼な口振りとなってしまった。
それを分かってか、吉継公は目を細めて笑った。
全ての行為に自己嫌悪しながら左近は己の屋敷にへと案内した。