薬籠中物










* * * 

「…この、この硯…」
茶を運んで、さて話題が無いぞと困っていたら。
吉継公は目を煌めかせながら左近を見た。
上座の床の間に置いてあった硯を目敏く見付けて、大層驚いているようだった。
「…殿から、頂いたものにあります……」
すると、左様か…なんて言いながら俺を品定めでもする如く眺める吉継様。
「…ぁの……?」
更に不可解に二、三度頷き、あろうことかくすりと笑ったではないか。
左近は俯いて押し黙った。
なんなんだ、この御仁は…
いい加減、腹が立ってきた左近は胡座を崩して立ち上がろうとした。
「大事にしてやって欲しい。三成の事を」
爪立てはそのままに、左近は呆気に取られ吉継の顔を見た。
「…ぇ……?」
今、物凄く聞き捨てならない文句が聞こえてきた気が…
「傲岸不遜などと言われておるが、三成は無器用なだけなのだ」
最早、この状況についていけてない。
「儂は友として、そちは…恋仲として支えてゆこうぞ」
左近はたじろいだ。
「…ぃ、いつ…気付き申されました…」
こんな間抜けな質問をしている自分が分からない。
「…ついさっきだが?」
しらっと言い切る吉継公。
「…何故?…」
吉継公はふっと笑った。
「…ある、おのこの悩みを聞いたのよ」
そして口調を変えた。
『大事な…思い人に贈る品は何が良いと思う?』
それは正しく、殿の口調。
「だから儂は硯はどうかと言ってやった…」
「………その心は?」
左近は堪えきれず聞いた。
その問いに、少し面食らって面白くないとの顔を作る吉継。
「…そち、兵法以外の本も嗜まれよ」
慌てて謝る、今は何でもいいから仕立てに出るほか良策は無い。
「…あぁだから三成は機嫌が…」
何故か一人で納得してしまう吉継様。
「意味を知らねば硯など貰っても困るな」
完全にからかわれている。
左近は堪えようとは思っていたが、居た堪れなくなって顔を俯けた。
「…お戯れが過ぎます…」
悔しそうな左近を見て、吉継はそろそろ止めてやろうと思った。
三成の変わりに十分懲らしめてやったと感じたからだ。
あんなに真剣に悩んで、顔を上気させながら三成が選んだ品が。
渡された本人には意味を気付いてもらえなかったのだから。
これぐらいは…罰は当たるまい、との顔を頭巾の奥に秘める。
吉継は硯の種明しをした。
「…三成は長生きして欲しいのよ、島殿に…」
左近は俯けていた顔を上げる。
「硯は大事に使えば何時までも形を留める」
だから、長生きを祈る品なのだよ。
そう、咀嚼するように吉継公は左近に説明してやった。
左近は真意を知るやいなや顔を背けた。
顔色は普通なのだが、耳と首が仄かに色付く。
「…殿…」
そして無意識のうちに、名を呟く左近。
初々しいったらないのぅ。なんて、笑いを堪えて居る吉継の目の前で。

* * * 

ゆるりと幾日か滞在された吉継公は、帰り際に割と憎らしい笑みを浮かべられた。
意味を汲取れる左近は目上でさえ無ければ、悪態を付きたいところ。
しかし、今はそんなことどうでも良い。
やっと目の上の瘤が取れたのだ。
「殿」
「…………何だ」
吉継公が帰って余韻覚め遣らぬ殿の自室。
無事に見送り役を果たし、事後報告をしに左近は三成の部屋を訪れていた。
返事するまでの間が未だ許してくれない事を知らせる。
左近が部屋に入り正座していた膝を崩して立て膝になると、三成はびくっと跳ねた。
「……疎い左近はお嫌いでしたっけ?」
じりじりと間合いを詰めて、左近は低い声音で言う。
三成はそれだけで悟り、後ろを向いた。
「…そ、そうだ。嫌いだ…好かぬ」
しかしながら、逃げ出そうとはしない。
その拗ねた様な背中が、こんなにも。
「…愛しい」
後ろから包み込む様に左近は三成を抱き締めた。
柔らかい亜麻色のねこっ毛から香る殿の匂い。
横目で顔を伺えば、紅を落した様な頬に長い睫毛。
「…では聡い左近は如何ですか?」
ひたすらに低く甘く囁いて。
音がするぐらいきつく締めてやる。
「…ぉま…っ」
「…はぃ?」
振り向こうとした殿の頬に唇を寄せた。
嫌がる様に震えたが、閉じた瞳がまた艶やかで。
こんな繊細な壊れ物に、精一杯思ってもらえることの。
左近は更に抱きすくめた。
なんと有難き事だろう。
「お前、は、狡い…」
殿は照れ隠しなのか、些か怒っている。
「…では、狡い序に。」
左近は己の懐に隠していた硯を取り出して、目の前に晒した。
三成が贈った物よりは若干大きいそれは包みも何もしていない。
「…?」
「…左近の心を献上致します」
左近がそう言いながら急に手を放したので、硯は三成の踝の上に落ちた。
「!?っ…!」
「意趣返しですよ」
「左近…!」
きっ、と睨み付けた瞬間に左近は三成の薄い唇に口付けた。
半身だった三成の体を口を合わせながら対座するように動かす。
徐に見詰めながら顔を遠ざける。
殿は大事そうに硯を抱えながらも腑に落ちない顔をしている。
苦笑い混じりに息を吐いて、左近は手櫛で三成の髪を梳いた。
「左近だけ長生きしとうありません」
三成は、はっとしたように瞳を見詰め返した。
「同じ傷を負って、共に死際を飾りましょうよ」
脛を擦りながら左近が笑うと、三成は何か言いたげに口を尖らせた。
ねぇ…もしですよ。
硯が寿命を司るなら。
殿に少しだけ俺より長生きして欲しいと。
大きな硯を贈ったのは、俺の死ぬ迄の内緒です。