灼爛





灼爛



鍾美に触れて爛れては
散り初む恋をそのままに

晴れ渡る澄み切った空。
明日も良い天気なのだろう。
いや…雨でも良い天気にゃ変わりない。
「…慶次、寒い…」
慶次は開けていた障子を閉めた。
庭に面した障子より少し離れた所に兼続は身を起こして座っていた。
兼続の夜着は乱れて、雪を欺く肌が露になっている。
徐に合わせを直す兼続は気怠そうだが、綺麗だった。
伏せ目は匂う様に婀娜っぽい。
昨日、やっと本懐を遂げた。
慶次は兼続に近付きながら今までの辛酸を思い出した。
当初から、あからさまに好意を示して居たのに。
なかなか縮まらなかった距離。
だが、今はもう昔。
「…おはよう…」
寝乱れた髪を手櫛で梳いてやる。
兼続は俯き加減に瞳を閉じて為されるがままにした。
どれだけ梳いても梳き足りない。
「…艶があるねぇ…」
兼続は薄く笑った。
「…私はな、前髪を落としたことが無いのだ…」
慶次は唐突で脈絡の無い兼続の返事に、意味を見出だせなかった。
「…そうなのかい?」
俺は訳も分からず相槌を打つ。
「それより、動けないだろう?飯持ってこようか?」
兼続はぱちっと瞬きして、小さく頷いた。
「忝い。」
また随分と堅い言い方をする。
慶次は胸の内で苦笑う。
「…畏まった」
だが、そんな可愛らしくない物言いも惚れた欲目。
愛しくて仕方なくなるから不可思議だ。
吸い付いてくるような兼続の黒髪。
擦り抜けさせるのも惜しかったが、慶次は梳くのを止めた。
「…蛻の殻なんて、御免だぜ?」
慶次は再び立ち上がり、廊下への障子に手を掛けた。
念を押すと言うよりかは、軽くからかったつもりだった。
だから、早く行けとか面白そうに笑うのかと考えていた。
「…逃がさぬくせに…」
しかしそう言って笑った兼続の顔は。
何かを諦めたかの様に儚かった。
「…直ぐ、戻る」
慶次は障子を閉めながら、得体の知れない胸騒ぎを感じた。

 * * * 

それからも、幾度となく寝食を共にした。
兼続は、普段着の見た目よりも華奢だ。
熱血漢なのにも関わらず体温は俺より低いみたいだし。
手先や足先は水源の清水の様に冷たい。
懐に抱いて寝た時なんかは、少しも動かないときたもんだ。
安らかな寝顔に、つい死んでしまったのではないかと焦ったこともあった。
そんなふうに、慶次は兼続をひとつひとつと知る度にどうしようもなく惹かれた。
それこそ今なら娘を目に入れても痛くないと言う、親馬鹿の気持ちが分かる程だ。
朝なんて来なけりゃ良いのに…
隣りに横たわる兼続の頬に軽く口付けを落とす。
すると兼続はゆっくりと口角を上げはにかんだ。
そのひとつの仕草がまた慶次を狂わせる。
夜は、容赦無しに更け過ぎゆく。

 * * * 

兼続を手に入れた当初は、歓喜にひたっていた為か慶次は舞い上がって居た。
しかし、段々と落ち着くにつれ兼続の些細な変化に気が付き始めた。
例えば、達者だった口が減った。
出会った頃はよく喋り生き生きしていた気がする。
それから身振りが小さくなったような気もする。
全体的に生気を感じなくなった。
窮め付けは、笑顔が多くなった。
だがそれは口を開けて愉快に笑うとかなんかじゃない。
仄かにうっすら、何処か哀しく笑うんだ。
その笑顔は俺の前と景勝公の前のみだった。
だから最初は本当に気を許してくれた笑顔だと思っていた。
俺と目が合う度に見せるその莞爾は。
俺だけには赤裸々な自分を示してくれているのだと信じて疑わなかった。
それが揺らいだのが、何の変哲もないある夕暮れだった。
縁側に腰を下ろして居た兼続。
俺は横に座り、話しかけた。
「…兼続、今晩…菊見で一杯やらないか?」
兼続は景勝公の右腕だから、押し掛けてなんてのは憚られた。
だから、何かとつけて俺から誘っていた。
「…そろそろ、月も満ちるぜ?」
「…済まない…景勝様との先約があるのだ…」
兼続はまたあの笑顔を湛えて俺を見上げた。
その顔は、出来るならそなたと酒を飲みたいよ。と言っているように見える。
だが、慶次は今回は諦めなかった。
それもその筈だ。
もう何回その文句で逢引を断られているか。
数えていたら苦しくて止めた程である。
「…たまには、俺を」
「済まない」
兼続は俺の言葉をないがしろにし、言葉を発した。
息が止まる程の雰囲気が辺りを取り巻いた。
慶次はこれ以上引き止める術を知らない。
むしろこれ以上言い寄れば嫌われるのではとの危機感の方が強かった。
兼続はちらりと慶次を見上げると、目を細めた。
悲しそうに見えるのは、きっと朱色の太陽のお陰だったように思う。
「…また機会があらば…飲もう…」
兼続の言葉は慶次にはこの場を取り繕う為にとって付けたような台詞に思えた。