無色光覚





無色光覚



皓々たる先を行くそなた
諦めにも似た影を連ねて

知音は音も知らせずこの世を去った。
酒杯を片手に語り合った夢は、ただの戯言となってしまった。
兼続は脇差しを取り出して、そっと鞘を抜いた。
暗い部屋。冷たい銀色は、己の心臓を抉る煌めきを発する。
すっと息を吸い込み、刀を振り上げた。
「御乱心めさるな」
兼続の腕の脇差しを叩落すと同時に、慶次が片頬をぶった。
「…何度目だ」
兼続は虚ろに、飛んでいった刀を目で探した。
慶次はうんざりした様子で兼続に向き合い両肩に手を置いた。
「兼続…落ち着きな。後を追ってもあの御仁は喜ばない」
兼続は黙ったなり慶次の言葉を復唱した。
そうだ…三成は喜ばない。
きっと、阿呆などと言われるのが関の山。
そうだと分かって居るのに。
「…三成の居らぬ世の…なんと味気無いこと…」
慶次は静かに顔を俯けた。
何か言い掛けたのを押し殺した様にも見えた。
しんと静まり返る部屋。
人払いをしていて灯も付けて無かった。
人がいる事が辛うじて分かる程度の薄い明るさだった。
「…兎も角今日は床に入りな…」
その宥める文句も、もう何度聞いただろうか。
「…………」
この身体が人の温もりを求めているからかどうかは分からないが。
慶次の掌はやたらと暖かくて、重たく感じた。

 * * * 

月明りが柔らかく落ちる晩。
兼続は今日こそはと忍ばせていた短刀を取り出した。
抜き付けた匂の深い直刃。
いつか三成にも見せた事がある…
その綺麗な顔が、いい刀だと言ったのを思い出す。
深呼吸と浅い呼吸を繰返して、心を鎮めた。
腹を掻き切った時に、呻き声を上げない自信はある。
人払いをしてはこと如く阻止される自害。
ならば、人を払わなければ良いだけ。
私付きの小姓には苦い思い出にもなろうが、天命と諦めてもらう他無い。
「…されば」
切っ先を腹に宛てた瞬時。
「…なりませんっ!!」
障子を突破らんばかりに押し開けて、小姓が飛び掛かってきた。
兼続は、邪魔だてする小姓に苛立ちを隠せず睨み付けた。
だがそれは、直ぐに疑心に変わる。
「…そなた、景勝様の小姓ではないか…」
兼続の問いに、小姓は頭で肯定するもののそれ以上は口を割らない。
「…全て…差し金か…」
兼続はただそうだけ言って短刀の柄を握り締めた。
いつも邪魔が入るのは見張られて居たから。
必ず慶次が来たのは、この童が呼んだから。
「………」
この身は、死すら選ばせて貰えない。
兼続の手から零れた脇差しは床に突き刺さる。
景勝様の小姓は、直ちに兼続に抱き付いていた身体を離した。
そして急いで床から脇差しを引き抜き鞘をも拾い上げ、逃げる様に部屋から立ち去った。

 * * * 

こんなにも、心身は滅びる事を欲しているのに。
兼続の鬱憤は募るばかりだった。
景勝様には小姓の時より奉仕してきた。
手となり足となり口となり、尽くしてきた。
ならば褒美と言わないまでも、兄弟のもとへ行かせてくれても良いではないか。
兼続は気付かれずに身を削る手段を考えた。
この頃から、兼続の食は段々と細くなる。
兼続は公務の忙しさから時たま食を抜く事があった。
だから、膳を下げる小姓も残す食事を気にもかけなかった。
しかも兼続は、したたかに懐紙に食べ物を包み隠しては、夜な夜な厠に捨てに行くのである。
これでは、気付けと言う方が難しい。
やがては兼続の胃は固形物を受け付けなくなり、流動食でも噎せるようになっていた。
兼続にとって好都合だったのが、今が冬だと言う事。
何枚も重ね着すれば、痩せた事も気付かれない。
取次ぎも小姓を介せばどうとでもなった。
しかし、ものには限度というものがある。
ある日の夕闇の廊下。とうとう慶次に勘付かれてしまったのだ。
栄養が足りていない兼続は、慶次の呼び声が耳に入らなかった。
慶次は不思議に思い、声をかけながら廊下を追った。
そして不意に手首を握った瞬間だった。
「…兼」
慶次は驚愕して、名も呼べなかった。
「…何だ、慶次」
ふらりと振り返る兼続の出立ちは。
鎌風に晒されて今にも折れそうな危うさを秘めていた。
「…な、何だじゃ無いだろうがっ!」
慶次は怒りに任せてがなり、横顔で伏せた顔を無理矢理こちらに向けた。
外光に露になった色素の薄い肌は、頬や目尻に不健康な影を描いていた。
「…いつから、食ってない…」
慶次は、逃げない様にする為か手首を握ったまま呟いた。
兼続は当然しらをきる。
「…言い掛かるな、四度の食」
「ふざけんなぁっ!」
慶次は兼続の合せを引っ掴み壁に押付けた。
兼続はその衝撃に、何度か咳込み慶次を睨む。
「食ってる奴が、そんな死にそうな面してるかよっ!!」
心臓にまで響く声で怒鳴った慶次。
反面、修羅の如く睨み付ける慶次の瞳から涙が流れた。
兼続は堪らず顔を顰め見ない様にした、慶次の手が小刻みに震えているから。
「、っ来い!」
首を横に振り嫌がる兼続を無理矢理引こ摺って慶次は兼続の部屋まで連れて来た。
部屋の前で座っていた小姓は、唯事ではない有様に思わず立ち上がった。
「今直ぐ飯を持って来い!今直ぐだ!」
「要らぬ!」
大抵なら兼続の言う事を聞く筈の小姓。
だが慶次のあまりの剣幕に圧倒されてしまい、慌てて食事を取りに行った。