万華鏡





万華鏡



三面の合せ鏡に閉じ込めて
果て無き世界に見る夢は

鰾膠も無い事を悟るのにそう時間は掛からなかった。
慶次と親睦を深めるのは、難しい事ではない。
人の良い所を見つけそれを惚れたと褒めて、そなたは誰とでも打ち解ける。
慶次は最初から他人を拒絶しない。老若男女それは変わらない。
その姿に圧倒されて近づかない者も居るが、そんな者さえ二言も話せば大抵仲良くなる。
だが、気心が知れるうち私は気付いた。
そなたの心にはある程度以上は踏み入れないのだと。
入ってくる者を悉く拒み、決して誰も近づけないのだと。
私は愚かだった。
それを悟るのが遅すぎた。
慶次と言う男こそ、私から見れば男が惚れる男だった。
そのこうなれればと強く願う憧憬は日を追う事に濃くなっていった。
そして、友という定義に押し込められなくなった思いが思慕しているのだと気付いたとき。
私はこの思いを決して漏らさぬよう、肝に命じた。
もし気取られてしまったら。
そなたは確実に上杉から去ってしまう。
だから私は懸想の息の根を止めた。
友としてしか傍に居てくれないのなら。
友としてで良い。傍に居て欲しい。
私は、友として傍に居るだけでも仕合せなのだから。

 * * * 

「……………頑張れ、私」
朝起きて、顔を洗うよりも小姓に話しかけるよりも。
何よりも一番にする事。
それは己を戒める事だった。
今日もいつも通り。
私は熱中すると周りが見えなくなる男。
通りの良い声で話して、景勝様にもう少し落ち着けと窘められる。
武術の稽古もし、書を読み教養を深め…
気が付けば夜で今日という長い一日が終わっている。
それが私で、慶次が友として私を訪ねてきてくれる理由。
これが崩れてしまったら。
兼続は仰向けからうつ伏せに寝返り、重い体を布団から出す。
寝る前に梳いた髪は女の未練の様に横顔を垂れ下がる。
「そなたは…」
起き抜け、立ち上がると同時に軽い眩暈。
これは最近よく見られるようになった症状だった。
兼続は、朝日に照らされ木の葉の揺れる障子に目配せした。
衣擦れの音に部屋の外で座っていた小姓が立ち上がった。
「…すまぬ、喉が渇いた。白湯を持ってきてはくれまいか」
この部屋を出るまでに、慶次が私に出会ったときの私に戻らねば。
小姓の、畏まりましたとの返事は兼続の声と反し爽やかに明るかった。

 * * * 

「兼続」
だが、この男は私の葛藤を知らない。
察してくれとは言うまいが…
神が居わすなら、私の胸中を汲み取り…
こう毎日毎日顔を合わせることの無い様に計らってくれても。
良いものを…
慶次は本当にひょっこりと姿を現す。
人を訪ねるのには前もって文をだすなりなんなりで先方の都合を確かめるのが普通であろう。
だが慶次は違う。
知り合った時は確かにそんな文を寄越していた気もするが。
最近は勝手知ったる。
庭先からだろうが、軒先からだろうが。
一番驚いたのは、自室を出たらそなたが廊下の壁に凭れて居た時だった。
顔さえ清めていないとんでもない私を見られて、どれだけ落ち込んだことか。
兼続は小さな溜息を吐いて、振り返る。
「慶次か、今日はどうした?」
木刀を地面に触れさせて、兼続は手拭で顎から滴る汗を拭いた。
やっと無心になったと思った手前。
神はまるで、慶次の事を忘れて安息を得るのを咎めている様にも思われる。
慶次は人好きのする豪快な笑顔で風呂敷を突き出した。
「出雲大社の巫女から、酒の肴が届いてねぇ。」
付き合ってくれないかい?
と一応は了承を得にやってきているのだが。
「…構わぬよ、宵口にな」
断ったとて正当な理由ではない限り帰らないくせに。
兼続は複雑な心情で、慶次を邸宅に上げた。
「水を浴びて、さっぱりしてくるから先に呑んでいてくれ」
兼続は言い訳を置き去りにして庭先を離れる。
「おぅ、待ってるよ」
と背中で聞くが振り向けない。いいや、振り向いてはいけない。
今私はどんな顔をしているんだろうか…
今すぐにでも鏡で確かめたい。
もし、何かを期待しているふやけた顔などしていたものなら…
「閉じ込めるのだ、そうだ閉じ込めろ」
水を浴びて気持ちを切替えて。
胸の焦がれを封じ込めて。
何時もの私、何時もの私…
兼続は胸の内で唱え続けた。