薫灼
どうか夢魘を喰らってくれ
貘よ私を憐れむのなら
城が虎の住家にならないのは当然と言えば当然だろう。
逢魔ヶ時。
虎は窮屈に感じたのか、今日も闇に行方を眩ます。
「…日毎…」
軒先の柱に凭れ掛りながら、垣根越しの慶次の金髪を見た。
背の高い慶次には、垣根などあって無いようなもの。
薄明かりに慶次の金糸は同化せず、目立ちながら通り過ぎる。
兼続は柱から身を離して奥に逃げた。
眺めて居たい気持ちと引き止めたい気持ち。
その二つが互いを増長させそうだった。
思わず声をかけてしまいそうだった。
こんな思い上がりをしてしまう自分が許せない。
「…あれは、慶次にとっては挨拶なのだ…」
明度が下がった暗い部屋に足を進めた。
障子に映る木の葉は微風に吹かれて揺れていた。
かさかさと私の代わりに泣いてくれている気がする。
「…慶次の常套句ではないか…」
兼続は部屋の央で立ち尽くした。
惚れただなんて。
意味を履き違えている。都合良く解釈している己が分かるのに。
心が勝手に先走りしてしまう。
「…収まれ…収まるのだ…」
兼続は着物の上から水月を握り締めた。
動悸が激しい。
早鐘を落ち着かせようと下を向き瞳を閉じた。
それがいけなかった。
『…面白い御仁だ!』
耳に残る声が、慶次の笑顔を呼び起こさせた。
何度も繰り返すそれは、兼続を追い詰める。
『…俺は見た目はむさいが…』
兼続は堪らず膝を折り、その場に蹲った。
光を失った部屋は、天井が無いと思わせる程深い。
足下もいつ崩れるのか分からない。
葉と葉が風に弄ばれる不気味な音が部屋を支配する。
「…止めてくれ…」
兼続は耳を押さえて縮こまった。
心の臓が、がらんどうと化してゆく。
果てのない闇が私を食い潰す足音が聞こえる。
その金色の闇の名前を私は嫌と言う程知っている。
「…後生だから…」
兼続は声を搾り出した。
このまま黙っていると、狂いそうだった。
「…私の心に、入ってくれるな…!」
兼続は己の体を抱き締め、悲愴な声音で呟いた。
凶夢は熱りを手放す気配を見せない。
兼続の中で燻り続けてやろうとするように、じわじわと熱を帯びていった。
* * *
「…兼続、あんた顔が真っ青だぜ?」
次の日、憎い程に晴れやかな笑顔を湛えながら慶次が挨拶に来た。
しかも、開口一番がそれである。
遊廓効果とはなんと絶大なのだろう。
兼続は、唇を噛んだ。
全く人の気も知らないで…
「…気のせいだ、私は元来色白ではないか…」
兼続は視線を逸らして慶次をあしらった。
慶次の後ろから朝日が差して、後光の様に眩しい。
そんな光を背負った当人は、わざとかと言いたくなる程に声を和らげた。
さらに腰を落して兼続と目線を合せる。
「…俺の目は腐っちゃぁいない…」
ぴたりと頬に触れられたと思った時にはもう遅かった。
慶次は両手で兼続の頬を挟み、己の額と私のを合せた。
「…、そな」
「…熱いねぇ…」
当り前だそんなの。
兼続は目一杯瞳を閉じて、首を竦めた。
「…しかも、震えてる…」
口元に慶次の吐息がかかり、視線を感じて。どうして平静で居られる?
喉迄きている不平が声にならない。
兼続の顔は、真っ赤になっていた。
「…眉間に皺なんて、別嬪が勿体ない!」
片手を頬から離したと思ったら、慶次は私の背中を叩いた。
「怒らせたなら謝るから、そんな顔しないでくれ」
慶次は申し訳なさそう頭を下げて、身を翻した。
兼続は口を押さえて、赤ら顔を更に紅くした。
憤怒に顔が高揚したとでも思ったのだろうか。
罪作りな奴め…!
兼続は恨めしく、無邪気な虎の後ろ姿を見送った。
駄目だ、翻弄されている。
一言一句で一喜一憂。
兼続は頭を振っては俯くが、慶次の仕草に心を踊らせた。
眩しい朝日も、なんだか嬉しく感じられる。
もしかして、自分に興味があるのではないのか。
あわよくば、あんなことをするぐらいなら…
そう言った意味で好かれているのではないか。
「…調子に乗るな、馬鹿…」
兼続はまた頭を振って、思考を停止させた。
それでも、昨日の憂鬱がまるで嘘の様に感じる。
兼続は慶次が触れていた額に、手をあてがった。
もう一度目を瞑ると、その暖かさが兼続を包み込んだ。
「…嘘じゃない…」
涙ぐみそうになった。
「…もぅ、落ち着かぬか…」
思わずぺちっと片頬を叩いた。
しかし、言葉とは裏腹に良い方向の考えが止まらない。
…今晩酒にでも誘ってみようか…
都合良く、慶次は怒って居ると思っているかもしれない。
水に流そうと誘うのは、自然な流れでもある。
…突然訪ねたなら…そなたは困るのか…?
見えなくなった慶次の後ろ姿を思い描きながら、兼続は問掛けた。
答えなど返ってくる筈も無い。
だが兼続はそれでも満足気に微笑んだ。
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