意馬心猿





意馬心猿



身を食め身を食め狂い咲き俺を蝕む徒の花
血汁を啜り瓣染めて深緋となりてひとり散る

目を見て雰囲気を感じれば、大概どんな奴なのか分かる。
だから俺は、あの時にあんたに召して欲しいと言った。
今もその直感が狂っていたとは思っていない。
が、…あんたが最初に夢に出て来たのは、もういつだったか。
上杉に行き、召抱えて貰ってからそう日は経っていなかった気がする。
…そう、咽び泣きたくなるような甘酸っぱい香りがしたのは覚えてる。
それからあんたが常の形で立ち尽くしている。
でもいつもの溌溂とした兼続じゃなく、押し黙っていた。
元々何処か、陰を持っているとは思っていたがそれがぐっと濃かった気もする。
口元は笑ってんのに目は泣きそうな、そんなあんた。
どうしたと、近寄りたくて足を踏み出せば、冷たさと暖かさが混じった微風が吹いた。
急に足元の一面に咲き誇る花が揺れて、褪せた青が、紫になり、赤になりを繰り返した。
俺の歩みはそこで止まる。美しいのに…只この上なく恐ろしい。
しかもよく見てみればそれは、実を結ばぬ徒花…造花のようで。
甘い風は無性に喉が渇くだけ。
一言で言えば桃源郷のなりそこない。
そこで俺は何故か焦って目が覚めた。
今までにない程喉が渇きを覚えていて、あの見たことも無い兼続の顔が脳裏に焼きついていた。
不可思議な事この上ない、夢。
だが、その日から。良くも悪くも、俺が兼続を変に意識し始めたってことだけは確かだった。

 * * * 

そもそも、夢に出てくるなんてのは相手が…つまり兼続が強く俺の事を思ってるから。
だから思っている相手の夢枕に立つのだと、それが常識だった。
それに拍車を掛けたのは俺のあんたに対する想い方。
俺は惚れたとは言ったものの、それは身を窶せる類の想いでは無い。
だから、夢から醒めた次の日に早速尋ねて茶を飲みあった。
するとやっぱりなんてことはない。急に来るとは気侭な奴だな相変わらず。
と机に山積みにされた本を部屋の端に押しやって兼続は笑った。
それだけだった。
寧ろ、夢の切なそうな顔は愚か押し黙りもしない。
「昨日、寝たか?」
直球過ぎるかもとは思ったが、探りを入れると。
「あぁ何時かは確かめては居ないがな、空は白んで居たな」
慶次は己の目覚めた時分と照らし合わせる。
確か…俺が焦って目覚めたのも其れ位だった気がする。
「そうかぃ…」
蟠りが疼く。
「そう言えば、最近は全くと言っていいほど、夢を見んのだ。」
兼続は茶飲みを片手に愉快に笑う。
「寝る間も惜しんで執務がある、有難い事だ」
だからそなたとの突然の憩いも途轍もなく有意義な時間となる。
なんて唐突に言い、兼続は梅が綻ぶ様に小さく微笑んだ。
慶次の背筋が粟立つ。
「…そ、そんなに可愛らしくも笑えるんだねぇ…」
微かに夢と重なるその笑顔。
今迄一度だって俺の前でそんな笑い方したことは無いのに。
兼続は、茶化すな、慶次!と大声で笑った。
別に冗談めかして言っているわけでもない。
ましてや、冗談ならもっと洒落た口上するさ。
目の前の兼続が、やけに憎態じみた事を言うとまで思ってしまう。
兼続は自分の茶が無くなったから、慶次に茶は?と無言で急須を持ち上げた。
慶次は釈然としない顔で、兼続の顔を朧と眺めていた。
「…どうした?…ほら…」
どうせ、夢。きっと夢だ。
半透明な鶯色が、湯呑に注がれる。
「…ありがとさん」
兼続に満たして貰った湯呑の茶には何故か茶柱が浮いていた。

 * * * 

それから幾日かは夢を見ることもなかった。
当然のことながら、相変わらず兼続は義を謳い、景勝殿を補佐していて。
時折届く、知音の文を嬉しそうに読んでいる。
どうしてあんな夢を見てしまったのか。
そんなことを考えている間は全くちらつかなかったあの情景が。
また夢に現れたのは、珍しく一日中曇りだった日の晩だった。
かさかさと紙が擦れる音と共に酔いそうな甘い香り。
目下には色褪せた淡い花が不規則に咲き乱れ。
心成しか前より近寄った気がする兼続。
伏し目がちな眼が俺を捕らえては流れ。
それがぞくっとする程に婀娜っぽくて。
前に見た時は硬く閉ざされていた口が薄く開き。
白い歯の隙間から見える舌がどうしようもなく煽情的で。
佇まいが不常な迄に、官能的で美しかった。
身が、萎縮とも硬直とも言える感覚に囚われて。
上手く物事を考えられない。なんて…不可思議な夢なのだろう。
まるで青臭い餓鬼が思い描く、想像上の女のようだ。
「!?…っ……!……はぁ…っ」
慶次は悪夢を見た心地で額に手を翳した。
息苦しさで目覚めたというのが一番近く、額に滴る汗が、また気色が悪い。
まだ薄暗いが程無く東雲。
起きるのには早いぐらいだろうか…
「何がしたいんだよ…兼続っ…!」
慶次は飛び起きて、庭先の井戸に直行した。

 * * * 

次の日は、夢を見るのは懲り懲りだったので慶次は酒を煽った。
酒を飲みすぎ、朧と霞む眼をしきりに擦っては好きな連歌を詠んだ。
声に出して他人の上手い歌を詠み、宵闇を眺めながら自らも歌を作った。
酒に呑まれる前、慶次は絶対に兼続の事を考えないようにと誓っていた。
こうまでしても夢に出てくるのなら。
松風で走らずとも近い、兼続の所へ行って直接問いただしてやろう。
面と向って言えと。
そう心に決めて、それを忘れるほど酒を飲んだ。
慶次は本を片手に柱から崩れ、布団も引かず畳に倒れこむ。
「…呂、律も…回らねぇ…や」
はははと、笑いながら慶次は目を閉じた。
…鮮やかと言う言葉を使うには余りに物寂しい色の花。
それが暗い帳に舞い上がる。
衝撃があるのに痛みはなく、どうやら何かに倒された様だ。
胸の辺りに幾許か重い暖かさが蠢いた。
「捉えた」
声は低く、お世辞にも青年とも言い難い。
「ようやっと、そなたを捕まえたぞ」
兼続は愛しき男を離さないと言う女子のような事を言って笑う。
これは夢だ、やっぱり夢だ。
好都合なことに、今回の夢は己の意志が反映されるようで、慶次は肩を掴んだ。
「…面と向って堂々と言ってくんな。…なんで夢でんなこと言うんだ…」
落ちる花弁の軌道までが黒い景色に残って、残像が鬱陶しい。
「…私を責めるのか?」
澄んだ瞳が上から俺を見下ろして、梳かれた髪が頬に触れた。
ぞくっと身が震え、硬い生唾を飲んだ。
「責めて…なんて…」
「…生殺しか、殺生……」
心成しか見目が幼くなった気がした兼続の、中性的な顔が俺の首筋に近づく。
俺は嗜んでみたことはあるが、兼続とこんな事を望んだ事はない。
見守ってやりたい、あんたら主従の義をと思って此処に移り住んだ。
ただそれだけ。おかしい、訳が分かんねぇ…!
「…壊してくれ…」
引き剥がそうとした瞬間。
せがまれた囁きで、俺は目が覚めた。