意馬心猿










 * * * 

会って、言いたい事をはっきり言いやがれ。
そう思う心が今直ぐにでも、松風を駆らせようという気を増させる。
だが、会って若しもの事があればどうしようかとも思った。
衆道は忍ぶ恋である。
忍んで忍んで打ち明けぬまま墓にまで持っていくのもまた懸想のあり方なのだ。
そして来世で、夫婦になりたいと乞いながら恋慕するのも実のあるもの。
もう夢に出てきている時点で、忍べては居ないのだが。
兼続の方は押し殺せていると思っているかもしれない。
万が一…俺の自惚れなのかもしれないが。
俺に惚れているのだとして、抑えているのなら。
態々暴くのは、粋ではないだろう。
悟られていないと思って居るなら、そのままそう思わせてやるのが優しさじゃないだろうか。
「……………だよな…」
慶次は井戸の桶に汲んだ水面を不意に覗く。
「…最後の傾奇には相応しいじゃないか…」
結構、結構。と慶次は桶を持ち上げ頭から被った。
ぽたぽたと、髪から雫が落ちていく。
「…」
大量の水音に、偶々通りかかった、小間使いが血相を変えて近寄る。
「け…慶次様、このお寒い中…水垢離だとしても…」
「…禊?……偏屈は俺の十八番だねぇ…」
小間使いは蒼褪めた顔で釜屋に走りながら、湯を沸かしてと叫んだ。
幾許もしないうちに、再び土を踏みしめる音が早足で近づいてきた。
さては、取敢えず乾いた手拭か何かかと慶次は振り返った。
「慶次!この寒いのによくやるものだ全く!!」
押っ魂消るとはまさにこの事。
心の臓が大きく高鳴り脈が速くなる。
「…ぁあ…、あ…あんた、なんでこんなとこに…」
情に厚そうな唇についつい目が行く。
「息を抜いてこいと、景勝様が。」
根を詰め過ぎだと随分不愉快そうに呟かれて…と苦笑。
そこまで語って、俺の体が改めてずぶ濡れなのに兼続は気付き直した。
そして大童だなと言い、二の腕に腕を回し強引に屋敷の方に引っ張った。
「…あんたの、着物も…濡れちま…」
「聞こえぬ!風邪は万病の元ぞ!」
止めてくれと、言葉に出せぬ俺が嫌だった。
夢には似ても似つかぬ言動に、仕草なのに。
体に渦めいた、名も無い奇妙な想いが言葉を食らう。
何で早足で近寄ってきた、何でこんな朝早くから俺を尋ねる。
兼続は礼儀に五月蝿い男だ、いくら急な暇が手持無沙汰だと言っても。
こんな早くから、便りもなくくる事など無かった。
美しく梳かれた髪が結い上げられて、分け目も美しい。
頭ではどうしてかとばかり考えていて、目は兼続を追い続けている。
己の意味の分からない行動に答えすら出ない。
「何を思ったのだ、慶次」
腕を引いていた兼続は予期せず俺を見上げた。
上目遣いで、油断しきった無防備な顔で。
満足な返事さえあんたは俺から奪う。
その仕草はまるで、まるで、愛らしい無理を強請る乙女のようで…
背筋を駆けた衝動が、何もかもを忘れさせた。
慶次は兼続を見下ろしたまま固まった。
「…?慶…」
「…………忍ぶ恋にしちゃ、いやに積極的じゃないかぃ…」
「…は?」
兼続は軒先にまで連れてきていた手の力を緩め腕を解いた。
「慶次?」
何を突拍子も無い事をいうのだ?と続いた言葉に、慶次は無言で兼続に詰め寄った。
「ぉ、おい…もう下がれぬ、廊下の縁が、ぁああっ!」
派手に倒れこむ音と共に、慶次は兼続の口を押さえて圧し掛かる。
座らされるように倒された兼続の足は、当然力も入らない。
手は片方は捉えられもう片方は咄嗟に水月付近に体を庇うように引き寄せたが、そのまま押しかかられ為す術が無い。
「…兼続」
言いながら慶次は昨日の夜のように、首に顔を埋めてきた夢の兼続のように顔を埋めてやる。
押さえている口が、おい!おい!と言っているように聞こえた。
あんたの望みだろうが、あんたが誘ったんだろうが。
慶次は其の侭、そっと首筋に口付けを落した。
夢とは違う人肌の兼続の体が、驚くほどに跳ね上がる。
途端に尋常ではないほどに震え始め、廊下に押さえつけられている頭を兼続は精一杯振った。
慶次ははっと我に帰り、顔を上げ、体を剥がして口を塞いでいる手を退けた。
「け…け、慶次…」
上擦った声、不規則な吐く息。
夢の続きが現となって慶次の目下に広がっている。
砕けた腰は立たず、手で床を押しながら逃げる様は戦場でよく見かける光景。
そう、それは正しく恐怖からの行動。
兼続の見開いた瞳は、心成しか濡れていた。
「…兼」
名を呼んでどうするのだろう。
兼続は土足のまま、何時の間にか廊下の柱まで逃げていた。
「…ははっ、悪い兼続」
「何…が…」
「とんでもなくあんたの喉仏を喰い千切りたい気持ちになってね」
「はぁ!!?」
「寸前で我に返ったよ…」
なんて下手な嘘なのだろう。
「だが、だから…去んでくれ、今日の所は…」
なんて無様な言い訳なのだろう。
「…慶」
「帰ってくれ!!!」
俺は初めて兼続に怒鳴った。
兼続は動揺を隠せぬまま何度か視線を合せようとして、しかし諦めて帰っていった。
姿が見えなくなった途端、体は急に寒気を覚える。
それに伴い段々と戻る正気が現実が、先程の己の行動を思い起こさせる。
「…馬鹿じゃねぇか」
己の愚かさにはほとほと愛想が尽きる。
何なんだよこの醜態。
笑わせる、本当に唯の盛った雄と変わりゃしねぇ…
「…こんなのよぉ…」
俺はずっと、これは兼続の願いなんだと思ってた。
都合が良いったらありゃしない。
遊郭の手練手管でも良く使われる常套句でこんなのがある。
私の夢に貴方は出てきた。
貴方は夢の私では物足りず私を抱きに来たのでしょう?
俺はそんなことあるかよと、思いはしたものの騙されてやるのも優しさかと抱いてやった事があった。
遠い昔の話ですっかり失念していた。
こんな滑稽な話があるだろうか、久方振りすぎてこの感覚が何物かに気付けなかった。
この感覚は世捨て人として生きると決めたときに、一番に切り捨てたはずだったのに。
忘れてしまっていた恋心は膨張して行き場所を無くして、何時しか夢に思い人を誘った。
それでも足らないと、恋心は理性を焼き切り体を乗っ取った…
辻褄が合うと、いとも簡単に世界が色を変える。
辻褄が合って、いとも簡単に己で終わらせてしまったのだと気付く。
俺、あんたを気が付けば夢にまで思い描く程好いていて、言いたい事を言えだなんて嘯いて。
あまつさえ、兼続が俺に懸想しているだなんて…
目出度い脳味噌だよ全く、なぁ、おい…!
「ぁぁぁぁああああああ!!!」
慶次は拳で廊下を殴り、廊下に穴をあけた。
廊下に跪き腕を無理に引き抜き、血塗れになった腕を理由に泣いた。
まるで汚物を見たような目で、怯えながら後ずさる兼続が脳裏にこびり付く。
それにさえ、そそられている自分が、ただ殺してやりたい位、気持ちが悪くて。
拒絶されて気付く恋心なら、気付かなきゃ良かった。
拒絶させて傷つけただけならば。
こんな思い、知らなきゃ良かった。