「川中島にて腕試しを行う、景勝、初陣前の下準備と心得よ」
何時もの真一文字に縛った唇は、さらにきつく。
瞳は成程、禍々しいほどに爛と輝き見開かれていた。
闘争は愉悦の言葉を瞳で語られている感じだ。
「はっ」
景勝様は重苦しく頭を下げる。
「与六、そちも加われい。戯事だが戦場の気概を味わう絶好の機会ぞ」
自分はまさか己の名が、その口から出るとは思っても居ない。
「はっ!」
慌てて返事をすると、うむ。と頷き謙信公は私たちの前を後にした。
場所は幾度と武田と対峙した川中島らしい。
舞台としては申し分は無い。寧ろ模擬には光栄すぎるといって過言ではないだろう。
程無くして。
これがたった一人の傾奇者による仕官申し出が原因だと知る。
だが、これ程当てにならぬ噂があるだろうか?
越後の龍に単騎で喧嘩を売るなどと、聞いてそう思わない越後人が居る筈が無い。
本当に己の身だけで挑むなどと、何処の絵空事。
* * * *
弥 生 尽
* * * *
「懐かしい…」
慶次は兼続の冊子を眺めほぉ、と溜息を吐いた。
偶々書物の整理をしていたら出てきた日記を眺めていた。
稚拙ながらも一生懸命書いているその書振りは己の成長と時間の経過を知らしめる。
だからと言って私の書いている日記に、どうして慶次が懐かしいなどと漏らすのか。
丁度見開いているそれに視線を走らせると合点。
「あぁ…、確かに懐かしいな…」
慶次は、だろ?などと言いながら擦り寄ってくる。
まさか謙信公も…このような形になるとは思っても居なかったであろう。
そうあれは。
私が九つで景勝様に小姓として傍に付く様になった頃だったな。
兼続は覗き込んできた慶次の顔を見やる。
「その絵空事が目の前で起こったのだから、事実とは恐ろしい」
「…頭んなかと現がごっちゃになってるぜ?」
何考えてる?と慶次は上目遣いで強請るように見上げてきた。
…あの時のお前の瞳はもっと血気盛んで。
近寄る総てを噛み殺してしまいそうに危うくて、触れたら仕舞いだと見下げた眼が語っていた。
その時分を思い出した刹那に、今の見上げている瞳が重なり背筋が粟立つ。
兼続は顔を逸らして、そなたには測れないと笑った。
それに面白くないのは慶次だろう。
唐突に恐ろしいなどと言われ、そなたには測れないと言われるのだ。
挑戦的じゃねぇか。と慶次は目色を変えて顔を近づける。
横顔で伏目がちに、官能的な紅を乗せたような唇は口角を上げて追憶に浸っていて。
慶次は形の良い耳朶にそっと口を寄せた。
* * *
そなたに二度目にお目にかかった時。
余りにも不意すぎたので、次に逢った時には言おうと考えていた言葉は霧散していた。
それもそのはず。
知音の窮地に駆けつけ、よもや命からがら逃がしてやれるかどうかの瀬戸際。
突然現れたそなたは、まるでそう軍神の化身のように見えた。
謙信公とはまた違う後光を纏った眩しさ。
いつかよりずっと貫禄を備えた生神は唯に神々しくて。
瞬く間に敵を蹴散らし提燈を薙ぎ倒し、火の粉に捲かれながらそなたは言ったな。
「…俺は弱い者いじめが嫌なだけさ…」
理由はたったそれだけなのだと。
それだけの為に一存で参戦したのだと。
幼き頃に感じた、無邪気で無謀だった姿が脳裏を過ぎり、そなたは変わってない。と感じた。
巻き上がる火の粉があの時の焼けるような夕闇の空を思い浮かばせる。
* * *
「なっ…」
慶次は不平を並べそうな口を手で塞いで、押し倒した。
現に戻った兼続が横目でやめろ、待て!と睨んでいるが気にしない。
そのまま耳を噛んで、舌を這わせる。
白皙の肌が色に気色ばんで、頬はほんのり朱色を滲ませる。
手は倒されまいと咄嗟に床に突いたが、慶次の重さに勝てるはずもなく。
身を剥がそうと突っぱねてみるがそれは余りに儚い抵抗。
「………俺じゃ嫌かい?」
是非も言わせぬくせに慶次はしっとりと言葉を耳に落す。
そうじゃない、この痴れ者…
目がそう訴えている。
慶次はふっと笑うと、言葉を発せさせないまま。
するすると首筋を撫ぜ、胸板を撫でる。
* * *
次