若気の至りとはよく言ったもんで。
あん時の俺は、傾奇ことしか考えてなかった大童。
戦は華だそう喚きながら。
俺はその華を散らさんばかりに、荒れ狂う猛虎にでもなったみたいに誰にでも喧嘩を売った。
そう、越後の龍に喧嘩を吹っかけたのは、召抱えて欲しいっていう建前を振り翳した、肝試しだった。
腕試しでもあったし、それで死ぬるならそれも本望だと思ってた。
今でもあの龍でも降りてきそうに燃える天空の色は忘れられない。
どんな朱色を混ぜても紅を焦がしてみても、到底表せない。
深い絶望が描くが如く、虚空は赤と黒で、血のように生々しかった。
上杉の名立たる武将を悉くねじ伏せ、いよいよ真打よと妻女山を駆け上がった。
漲る血潮が猛々しく己を奮わせ、高揚した気持ちはただただ先を願った。
やっとあの龍と手合わせ出来る。
軍神と称された生ける神に勝つ日が訪れるのだ。
だが山頂に差し掛かる直前、本陣の目と鼻の先に最後の砦が待ち構えていた。
俺は松風を飛び降り片っ端から雑魚を倒した。
そしてその軍の将が、沈みきる直前の紅い西日を浴びて俺の前に姿を現した。
形は未だどう見たって元服しちゃいない。
着ている鎧兜に至っちゃぁ、借りて着たみたいに体にあってない。
肌は雪よりも白いだろう、唇は牡丹より紅いだろう。
双眸は爛と気高い光を備え、振り翳してきた刀は鋭い銀色を放つ。
「我が命賭してでもこの先は通させぬ」
女子のような声高、翻す切っ先が空を映して斑に燃えた。
胸を抉られた様な激しい衝動が、俺を襲った。
* * *
模擬とはいえ、初めてお目にかかる敵と言うのが慶次だったのは不幸としか言いようがない。
結果的には謙信公が負けてしまった相手になるのだ。
あの頃の私が敵うはずがない。
二股に割れた主槍を何とか受け流して、与六は間合いを取り直す。
殺されはしないと分かっていても、鬼のような背丈があるこの大男。
身震いしない方が可笑しいだろう。
与六は逃げ出したくなる気持ちを殺して、相手を見据える。
切り掛かろうと足を踏み込んだ刹那、槍の先が思わぬ速さで私の首根っこに突き当てられた。
寸分狂わぬ迷いのないその突き。
兜の顎紐が切り落とされ、支えの無くなった兜は暫くして私の足元に転がった。
私は硬い生唾を飲んだ。
「…筋がいい、あんたは強くなりそうだ…」
喉笛から遠のいた槍の先、飢えた獣のようだった形相がふと解れて人懐っこい笑顔を見せた。
心の臓が動悸を激しくさせる。
近寄ってくる、敵が。動けない、体が。
慶次は与六に近寄り、その頬を撫でた。
「龍に愛された玉は何にも汚されぬ美しい光を纏うんだねぇ…」
また逢う日を待ち望んでる。
虎はそう言い、目を細めて触れた手を離し、本陣へと歩みを進めた。
頬に触れられた手から私の何かが根こそぎ奪われた気がした。
深紅を湛えた天が、抜け殻になった私の背中で焦がれていた。
* * *
「可愛げが無いねぇ…」
あの頃は絶世の美少年と浮名を恣にしていただろうに。
慶次は絵から出てきたかのような兼続の小姓時代を思い出し苦笑う。
少し力を込めて顔を背かせ、髪紐を解いて畳に髪を流させる。
くっきりと浮いた首筋に唇と舌を這わせ、髪を掴んでいた右手を床に縫い付ける。
目を閉じて、より一層引き立つ睫の長さが淫靡さを醸しだす。
兼続の瞳が色情を滲ませてきたので、慶次は口からそっと手を離した。
帯を引き解いて、重ねた着物を開けばあの頃よりずっと逞しくなったであろう、白い肌。
どれだけ待った。
俺の総てを受け留められるようになる迄、どれくらい待った。
「…嫌とは言わせねぇ…」
もう待ち草臥れた。
兼続は声を漏らさぬよう唇を噛んだ後、其れを更に強めるために己の腕で口を塞いだ。
あの日の気高さを俺のものにする。
あの時の美しさを俺が手に入れる。
あの場所の衝動の答えを、今解き明かす。
慶次は小姓らしいその仕草に煽られながらも、口を塞いだ手を退けた。
そして口に吸い付いた。
冀求なんてな言葉じゃ足りはしない、貪り尽くす程、欲望にまかせて慶次は舌を絡めた。
* * *
言い損ねていた言葉がある。
伝え倦ねて烈っして耐えられなくなる位の言葉がある。
外に出たいと熱が焼き切れるように暴れる。
やっと息ができると、重なっていた唇が空気を吸った。
直ぐに口を噤もうと動かす腕は、慶次の手によって自由が利かない。
唇を噛むだけでは、声を漏らしそうで心許無い。
だが手を離せと、言葉に出せない。
出るのはそなたの名ばかり。
脳裏を過ぎるのは、心を奪われたあの日のそなたの顔。
獰猛な眸。無骨な掌、捨て置いて行った、言葉。
「覚えて…居…るかっ…慶次…」
想いが溢れてくるようだ、火照らされた体に湧きたてられて。
「…ずっと、逢い…た…かった…!」
心を奪われたと悟ってから、ずっと偲んでいた。
もう二度と逢えないかも知れないのにずっと、ずっと。
だから再び巡り会えたなら、この思いを伝えようと思って、いた。
「…夢で何度、あんたを抱いたと思ってんだい…」
慶次は低く静かに耳元で囁いた。
「…やっとあんたは俺のものになるんだ…」
兼続の体が微動し色素の薄い体は仄かな桃色に変わる。
* * *
寺が俄かに騒がしくて目を覚ますと、無性に懐かしい気がした。
肌がそう感じるのかも知れない、魂が訴えたのかも知れない。
気が付けば、考えるより先に松風に跨って疾走していた。
呼応がどんどん激しくなり、火の粉が飛び違う中に麗人が舞っていた。
雪国の住人らしく白い肌に見紛うことのない艶っぽい唇。
丈は伸び、神話に出てきそうな少年は、芳しき青年へと姿を変えていた。
その瞳は輝きを其の侭に、俺を捕らえて見開いた。
もう言葉なんて要らなかった。
舞い散る火の粉は地上に落ちる前に光を手放し、舞い上がれば熱を篭らせる。
目も眩むような光景に、俺は用意していた言葉さえ不要だったのだ。
覚えて居るか?
このたった一言までも。
余りにも清廉にして美しく成長した立ち姿に。
一度ならず二度までも心を奪われてしまった、から。
終