音も無く消えた兼続に、置き去りにされた濃藍の髪紐。
そして、何時の間にか行方知らずになった俺の髪紐。
どうしても嫌な予感しかしなかった。いい前触れには思えなかった。
慶次は起抜け、素早く身なりを整えて松風と共に兼続の屋敷を目指した。
まだ朝方と言っても過言ではない時刻。
直江邸の小間使いは客人の来訪に動揺しきっていた。
「た、大変お久しゅうございます。」
ぺこぺこと頭を下げる庭師などを無視して、慶次は小間使いに詰め寄る。
「主は?」
すると小間使いは物凄く不思議そうに頭を傾げた。
「先日、前田様を訪ねると此処を発たれたばかりですが?」
秋の朝の冷たい空気が足元に立ち込める。
「…未だ帰ってないのか?」
一時、慶次の来訪に騒然としていた庭師や釜戸持ちの女たちがそそくさと動き始める。
「えぇ、最低でも三日は帰らないと言い置かれて行かれましたから…」
「変わった様子は無かったか…?何でもいい」
慶次はさらに言い寄った。
「そういえば、仰々しい手紙をもらっておられた気がします…前田様の手跡では無かったのですか?」
わたしはてっきりそうだとばかり思っていたんですが…と小間使いは笑った。
胸を打つ鼓動が早まる。
「他には?」
慶次は装えないのは分かりつつも平静に続ける。
あぁ。と小間使いは更に何かを思い出したのか、手を打って続けた。
「何故かは分かりませんが」
それは武士じゃないなら分からないかもしれない。
兼続程の身分の者が、そんな物を用意する意図なんて一つしかないことぐらい。
白装束と柄の無い小刀を風呂敷に包んでいたなんて。
「…あの御仁は…」
今から死にに行くと言っているようなもんじゃないか。
* * *
俺のところへ行くと言って、屋敷を開けたのならこいつらに詰め寄っても場所は分かるはずが無い。
慶次は顔面蒼白になりながら踵を返して直江邸を出た。
もしかしたら、景勝公なら何かを知っているかも知れない。
そう思い景勝公を尋ねようとしたが直ぐに思い留まる。
もし兼続に隠密のような役目を与えているのだとしたら。
俺が引っかき回して全てを駄目にしてしまう可能性が無いとは言えない。
でもこの虫の知らせとしか思えない胸のざわめき。
慶次は整理しきれない頭で必死に昨晩を思い出した。
何時もと違う仕草をした兼続。
初めて俺を求めた意味。多分持ち去ったであろう俺の髪紐。
そしてなにより死に装束としか思えない白装束を包んでいた事実。
「兼続…!」
慶次は手綱を強く握り締めて頭を振った。
居ても立っても居られないが闇雲に走り回ったって絶対に見つかりっこない。
誰でもいい、あいつの手掛りを。誰か。
「慶次様っ!」
その時、俺の後を馬で追いかけてきたのか、俺の世話をしている男が叫びながら馬で近寄ってきた。
良かった、こちらで正解でしたかと言いながら懐から文を出す小物。
それは女の寄越した恋文のようだった。
淡い橙の霞が吹き付けてあり折り目正しく結ばれている。
今はそんなのどうでも良い。
八つ当たりしそうになって、慌てて己を諌める。
だが慶次は苛立ちからか引っ手繰る様に文を掴んで中身を見た。
『今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな』
最初に目に飛び込んだ女手に面食らったが、その書きぶりには懐かしい匂いがした。
読むだけは読んでおかなければと広げた手紙。
慶次は噛み付くように小物を見た。
これは…兼続の筆跡。
越後の龍も仮名で文を書くことがあったと言う。
それを師と仰ぐ兼続が真似しないとも限らない。
慶次は小物に、悪い考えを払拭して欲しくて問いかけた。
「これは、いつ俺に届けられた」
小物は息を整えながら答える。
「実は届けられたのではなく隠されていたのを偶然見つけたのです。」
花器の水を換えようとしましたところ、その下からでてきました、と。
直ぐにでも御目にかけなけばならぬ気がして追いかけてきたのだと。
慶次はわなわなと手紙を震わせる。
兼続の文には続きがあった。
『この文を読んだ二日後に、国境に迎えに来て欲しい』
何時見つけられるか分からない手紙に。
どうして日時も指定せず迎えに来て欲しいなんて書く?
二日後なんて曖昧にして。わざわざ隠して。
「諦めるって直接言いたかったなんて言うんだよ!」
慶次は手紙を握りこんで、すぐさま松風を国境に向けて走らせた。
* * *
「このように小気味の良い見世物は久しぶりじゃ」
山奥の寺院、もうすっかり冬越しに備えてか散り続ける椛に銀杏。
独眼竜こと伊達家の当主は高笑いしながら、袴の紐を締めなおさせていた。
古めいた格調高い寺院の広い一室に、二人は寝れるであろう大きな布団。
その上には懐紙を巻いた小刀を片手に持ったままの兼続。
俯いて倒れている髪は振り乱れ白装束には沢山の皺がついていた。
「…流石は稀代の直江兼続よ…」
よっぽど面白かったのか、はたまた気持ちが良かったのか。
上機嫌のまま、政宗は米沢の椛は格別だといいながら小姓らと共にその部屋を出た。
誰も居なくなった部屋。
兼続は、震える手に握った刀を布団に突き刺した。
「…畜生…っ、山犬めがっ……!」
何度も床に突き刺しては不義だと喚く。
剥がされた着物の袷を掴み合わせて、泣かない様に歯を食い縛る。
それでも、止めることが出来ないから慌てて天井を仰ぐ。
しかし無常にも己以外の居ない部屋に響く、褥に水玉が落ちる音。
「………慶次、すまない…」
犯される途中で解けた慶次の髪紐を手繰り寄せ胸に抱きながら、兼続は掠れた声で謝った。
* * *
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