已己巳己









儂らには、月光でさえ眩しくて仕方なかった。

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 已 己 巳 己

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他に比べる術が無いので敢えて与六を引き合いに出すが、本当は比べてしまいたくない。
儂がそうされて心を閉ざしたように。
誰一人として器も違えば心根も違う。
それ故に元々比べることが出来ないのは分っている。
だが比べずには居られなかった。
与六を例に出す事で助次郎が浮き彫りになると思ったからだ。
…切れ長の美しい一重は伏せる度に匂い、色も白く清らか。
唇は薄く淡く色付き、近寄らせれば造詣の整った美しい顔が静かに俯き加減になる。
兼続のような眩しい華はないが、奥床しい小川のせせらぎのようにゆるやかで。
可憐、という言葉が似合う。
「殿…」
助次郎が甲斐甲斐しく茶を運んできて、目の前に構えた。
「春めいてまいりましたね…」
桜の塩漬けを浮かべた湯を差し出し、薄く笑う。
春に霞む空は、日の光さえやさしく濁す。
「うむ…」
儂の常春よ、愛くるしい常春よ…
景勝は柔らかい眼差しを助次郎に向けて心成しか目を細める。
それは兼続にさえ分りはしない些細な目配せ。
助次郎はその暖かな視線を感じて、僅かに頭を傾げた。
結い上げた髪から二、三本程、髪が揺れる程の本当に微かに。
何も壊さない雰囲気がただただ心地よく、無性に愛おしい。
「…近う、寄れ…」
飲み干した湯飲みを差し出し、景勝は助次郎を呼んだ。
助次郎は、はい。と切れは良くないが落ち着く声で近寄る。
齢も年頃そろそろ元服…
景勝は無言で手を伸ばし、助次郎の前髪を触った。
この髪を落せば、お前は儂より遠ざかる。
放しとうない、離れとうない…
髪に触れていた手を、助次郎の体に回し、景勝は身を引き寄せた。
春の生暖かさが障子を越して淡く揺れる。
胸の中で、殿…と呟いた言葉が愛しさを増させる。

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あの男の華は、言いようもない程派手だった。
生まれを凌駕するとでも言おうか、内から重く眩しい光を発している。
それに気付いたのは、与六と共に勉学に励んでいる時であった。
十で神童とはよく言ったもので、兼続は寝る間も惜しんで勉学に励んでいた。
儂はといえば、一度聞けば大体が理解できたのでさして当たり障りの無い程度だ。
勉学の神がどちらを好くかなど一目瞭然で。
与六は十五になっても神の子だと言われ、見てくれがそれに拍車をかけた。
まさに蝶よ、花よ。
だが兼続もそれに有頂天となって身を落ちぶらせるほど愚かではない。
己の身分はちゃんと弁えていた。
寺のある師より、押し問答などをされたとき、それは顕著に現れた。
お前になら絶対に分り、逆に言い包めてしまいそうな問いを分らないと言ったのだ。
儂とて馬鹿ではない。
それが、主と家来の間柄を考慮して出した答えなのだと暫時に悟った。
案の定。
儂はそれを答え、流石と舌を巻く師の横で、お前も笑顔で素晴らしいですと言っていたな。
其れを期に、儂は勉学を投げ出した。
何れ主となる器なら、参謀を頭脳としなければならない。
少なくとも兼続は、幼くしてその片鱗を見せていた。
一つの体に、頭は二つは、要らない。

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そんな、幼き頃より顔を突き合わせてきた兼続の変化を。
儂が分らねば、誰が分る。
小田原の時より、兼続は変わった。
初めて、神の子が人の子に見えた瞬間だった。
悟られまい、悟られまいと頑なに抑えている姿。
相手が誰とも直ぐに分った。
天下御免の傾奇者、お前よりもっと華やかで煌びやかな光を放つ男。
お前が惹かれぬ筈はなかった。
誰でもだ、己より眩しい者に魅かれるものである。
だから虫は、光に飛び込んで命を費やす。
程無くしてその傾奇者は儂に仕えるようになる。
目の前で頭を垂れた慶次の顔は今でもよく覚えている。
仰々しくそして堂々と、言葉こそは丁寧だが、中身の見えぬ儂ではない。
兼続に惚れたんだと、だから召されたのだと瞳が語っている。
終ぞ手に入れ続けるためだと、まとう雰囲気は殊更、夫婦の祝言を乞う瞳だ。
「よきに計らえ…」
嗚呼、眩し過ぎて、目が眩みそうだ。