峻悄 瑠璃帛










 * * * 

珍しいと言えば珍しい客が現れて、俺の予定が微妙に狂う。
振り子時計が五時を知らせて、ラジオが雑音を混じらせて懐かしき童謡を流す。
さてそろそろ支度せねばなるまい。
今日は鷺鳴館で舞踏会があるから客なんてこないだろうが。
あの婦人は、抜け出しても来るといっていた。
…女の悋気は勝手で厄介だからな。
増してや貴族ときたもんだ。
人を人とは思っておるまいに。
「…もう少しだけ…」
左近は一応何時人が着ても大丈夫なようにあらかたの準備を終わらせ、カウンターに座った。
そしてラジオの掠れた音を小さくしてギターを弾き始める。
アルハンブラの思い出は最近やっと覚えた楽曲で気に入っていた。
瞳を閉じてコードを押さえて、爪弾く。
薄く聞こえるラジオとも混ざり異国に紛れ込んだような、浮ついた感覚が俺を襲った。
今日は暇だろうな。
瞳を開けて、店の入り口を仰ぐ。
決して広い店ではない。
女給もいないこの喫茶店は左近が一人で切り盛りしていた。
証明は悉くランプと蝋燭で、目障りなほどのレースに西洋の装飾。
すっかり夕刻だというのに中の光は外の光に負けてしまい、店は闇を閉じ込めたように暗かった。
貴族の蜜を吸って生きているような俺には持って来いかな。
左近は自嘲し、鼻で笑って弦だけを爪弾く。
別に構いやしないさ、どちらにも疎まれる事のないように生きていくのが一番生き易いんだ。
それにどうして自分を悲観する必要が有る。
一日三度の飯にありつけて、この顔だから幸い女には困らない。
少し言いたい事我慢して、時勢に乗ってさえいりゃいいのさ…
さぁ、いよいよ圧巻だ…
終わりに向けて気持ちを高め爪弾く指にも気持ちが篭った。
途端。
「…相変らず、ギターが様になって居ますわね」
甘ったるい上擦った声が弦の音色を濁した。
ドアの呼び鈴を鳴らさぬようそっとあけたのであろう、そして音も立てずに閉めて施錠までするとは。
左近は敢えて返事をせず最後まで弾き、余韻まで楽しんだ。
「…舞踏会はどうしたのですか、婦人が同伴していないなど西洋の礼儀に反するのでしょう?」
頭を傾げながら左近はカウンターにギターを置いて、婦人に足を進める。
「体調が良くないといってあるわ、今頃代理を連れて鷺鳴館で踊り耽っていてよ」
婦人は真っ赤な口元を綻ばせ、左近に歩みを進めた。
忍んできたから黒尽くめの控えめなドレスが蝋燭とランプの光に幾つもの影を描く。
胸に縋り付いてきた婦人は踊ってください…と背中に腕を回してきた。
時々音が飛ぶラジオから円舞曲が流れているのに気付いた。