峻悄 瑠璃帛










 * * *

俺だってあの時は頭の中が真っ白だった。
きっと、石田の坊ちゃんよりね。
…誰でもそうかもしれない。
秘められた恋ってのは、いつか陽の目を見ようと蠢いている。
女は多分、恋に生きているから、余計にそうかもしれない。
闇の中でしか存在してはいけない筈なのに。
哀れな花は、空を望んで、花弁を千切られるのさ。
俺だって馬鹿だった。
あれだけ忍んできたのに、あの時許してしまったから。
早く帰れと言いながら、嫌だと言って胸に飛び込んできた、あの女を。
最初で最後、もう散るか萎れるしか術が無い。
頭の中は、最悪の事態が起こっていることに機能を停止してしまって。
取り敢えず赤毛を掴まえて、店に投げ入れた。
世間に露見したら、俺は生きてはいけない。
まず思ったのは己の保身。
目の前でどうしようと縋っている女は、星の数の一人。
だが分が悪い、其れが貴族様だ。
見つかったのもまた将来特権が約束されている、貴族の側近。
俺から求めたわけじゃないのに、どうして俺が消されるような目に遭わなきゃいけない。
「…愚かしい」
あの後の俺は、狂っていた、はっきり言ってね。
来るな、来るなと声変わり前の声音は、幼女でも襲っているかのような感覚。
男にしては細い体に、無垢なばかりの造形が調った顔。
女なら手篭めにすれば殺す事もない、だがこいつは男だ。
掴まえたってどうして良いのか分らない。
頭はもう正常じゃない。
気が付けば、胸倉を掴んで引き上げていた。
その瞳が、泣き出しそうに潤んでいるのに、舌でも抜けと言われて…
俺は…どうして、その時口を塞いだのだろう…か…
葉巻を何本吸ったかも分らないほど、店は煙で曇っていた。
何時捕まるんだろうかと、考えながらも店を開けなきゃと思う自分に笑みが零れる。
「…生きた心地がしない…か…」
きっとそれは、俺は悪いことなんてしてないという、無意識の考えなんだろう。
塵取りと箒を持って、何日か振りに店の鍵を開けた。
娑婆の空気ってのは存外美味いともなんとも思わなかった。
ただ、誰かに見られているのではないかと言う恐怖心が体を駆け巡る。
すると突然。
「…今からでも、大丈夫か!?」
振り向くと、おおよそ金を持っているような風貌ではない男が居た。
切羽詰っているのか、その瞳は縋るような色をしていた。