慶次はこの利発が服を着て歩いているような青年を見下ろす。
「…俺の部屋に入ってくるなんて珍しいねぇ…」
と言うより、初めてだ。
俺の部屋に入ってくるなんてのは。
「…私も、カンパネラを練習し始めたんですよ」
兼続は俺を見上げて、にこっと笑んだ。
どういった風の吹き回しであろうか。
慶次は続けた。
「…バイオリンでかい!?…兼続は何でもこなせる凄いやつだね」
でも全く上手くいきません。なんて兼続は笑いながら見上げるのを止めた。
烏の濡れ羽色がさらりと揺れ、視線が遠のいた。
鬱陶しい程の睫が、見て取れる。
慶次は己でも吃驚するほど、無意識に兼続の手を取った。
「!?」
再び交わった視線は、唯、驚きに見開かれているのみだ。
「…こんな小さな手で、カンパネラは難しいだろう?」
俺は半開きになった掌を優しく開かせて、そっと手を合わさせた。
節一つ分ぐらいは俺のほうがでかい。当然、俺のが指も長い。
「…そ、それは…ピアノでの話です、慶兄…」
バイオリンではあまり気にはならないんですよ?となんだか焦っている兼続。
弱ったなと、俺は酷く他人の目で自分を見る。
虐めたくなるというか、弄りたくなるというか。
居候なのに年上だし、さして頭も良くないのに先生役の俺へ、致し方が解らなくて苦笑っている兼続。
悪いとは思っているんだが、その反応が面白くてつい…困らせてしまいたくなるんだ。
「そうだね、もうこんな時間だ…鍛錬は明日にするよ」
慶次は合せていた手を離し、その手で頭を撫でた。
拗ねているように目を伏せるのが、また何とも言えず思いを漸増させる。
元々ドア近くだったから、慶次はそのままドアを開けた。
そして兼続を肩を持ち反転させて背を押してやった。
「おやすみ、あんまり夜更かしするんじゃねぇよ?体には良くないからな」
兼続は半身振り返って、兄さんもと微笑んだ。
「おやすみなさい…」
静かに閉められた音が、室内に余韻を残した。
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