如何お屋敷に帰ったか、覚えていなかった。
ただ、途轍もなく兄さんに会いたかったし、この上なく会いたくも無かった。
そもそも、私には要らない感情であるそれ。否、抱く事を許されない感情。
女で無いだけ、身分違いで無いだけ、ましなのかも知れない。
無理に手に入れようと思わないし、愛人になんて出来はしないから。男だからそんなことも有りえない。
玄関先で手荷物一切合財、先生の所に置いてきた事を思い出した。
しかし、取りに行くことなど考えられない、先生の顔なんて見れない。
侍女に適当に言って、階段を登りきると其処には剣道着の景勝様が居た。
「兼続、師範が今宵は用が出来て、早目に来た。なので今日は………」
「景勝様、許婚の菊子様は、お美しゅう御座いますか?」
景勝様が酷く困惑した顔をして、肩に手を置いた。
「どうした…、何があった…」
「菊と仰るのですから、きっと、蛍の仄明かりのように可愛らしいお方かと思いまし…」
「…おかしいぞ、何か良からぬ物でも食べたのか?」
「どうしたんだい?」
廊下の奥のほうで、部屋のドアが開いた。
その声に、その姿に、兼続は金縛りにあったように動きを止める。
「…兼続…!?」
肩に手を置いていた景勝は、兼続が張子の様になったのが瞬時に分った。
子供の喧嘩に、親が口出すのはどうかと思うんだけどなぁなどと冗談交じりに二人に近づく慶次。
景勝はどうしていいか分らず、背後に寄ってきた慶次を見上げた。
「…慶次の兄者…兼続を助けてやってください。」
「………え?」
突如景勝が手を掛けていた双肩が震え出し、兼続の顔色が変わった。
兼続は景勝の手を振り解き、突き飛ばした。
互いは後ろに引かれる様に間を取る、ただ、一歩下がれば廊下か階段かの違い。
一歩後退り踏み止まった景勝は、慶次が咄嗟に手を伸ばして片腕を握られた兼続を見た。
絨毯の敷かれた階段を二、三段滑り落ちた兼続は、押し遣った景勝ではなく、腕を掴んでいる慶次を見ていた。
「…っ、危ねぇ……」
景勝は大丈夫かと言わず、いや言えず、其の侭自室に逃げた。
場を取り巻く雰囲気が居続けることを許さなかった。
傍目から見て、兼続の視界にはもう慶次しか映ってなかったのが、一瞬で分ったのだろう。
ぽろぽろと大きな瞳から落ちる涙が、縋るような瞳が、腰が砕けて階段にへたり込んだ姿が。
求めていたのが、慶次で、自分ではないそう思ったのかもしれない。
まるで事情でも覗いてしまった子供のように、景勝は閉じた扉の前で口を押さえた。
兼続は声変わり前のか細い声で、放して下さいといった。
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