峻悄 玻璃帛









暫くすると自室のドアが開く音がして、兼続は袖で目を擦った。
泣いている姿など、誰にも見せたくはない。
尤も、あれから少し経っていたので泣いた後なのだが。
雰囲気で頭に手が伸びてきたことがわかった。
「……氷が解けちまったね…」
兼続は目に宛てていた手を外して、その声の主を見る。
「…慶兄…、侍女は……?」
確か侍女を連れてくると、慶兄は出て行ったのだ。
なのにどうして、あなたがここに居るのですか?
「…よくよく考えたらね、看病の一つもできない年増の男なんて本当に要らないだろう?」
怒鳴って悪かった、許してくれと換えの氷を布に包みながら慶次は言った。
そして体温計を振って水銀を元の位置に戻し、続ける。
「………熱が下がってると、確かめたいから咥えてくれないかい?」
兼続は頷き、黙って其れを咥える。
慶次は有難うと笑い、兼続のベッドの足元の方に腰掛けた。
体温を測れたら、謝ろう。そう兼続が外した手を布団に収めた刹那。
「…昔話をしようか?」
と慶兄が言った。
勿論それは強制のようなもの、直ぐには喋れない私に同意などは求めていない。
「…懐かしいね、初めて兼続に逢ったときは…男か女か解んなかったんだよ」
ほら丁度、剣道着のまんまで行き成り会ったじゃないか?と愉快に笑う。
「やぁ、こんな別嬪の原石の傍に居ちゃ間違いが起きるよなんて思ったもんよ」
走馬灯のように、初めて出合った大広間を思い出した。
「したら、男だってんだから、残念だったねぇ…」
来客には遅い時間だったし、何せ帰って直ぐに呼ばれて。
御当主に明日から師事を受けろと言われたのだ。
人懐っこい笑顔で、そういうわけだから宜敷頼むわ何て言われて呆然となったな。
「それから、あぁ石田の坊ちゃん。あれが俺を見たときのあの目!」
それから、慶兄が指南役となってから初めて三成が家に来たとき。
思わず私に、なんだこの頭の可笑しな物体は!と耳打ちしたな。
最初は本当に懐かしく場面場面を思い出し、慶兄はそれはそれは楽しそうに、昔語りをする。
そう。まるで、思い残りなんて作らないように。
思い出を全部此処に置いていく様に。
一つ一つ、この部屋に思い出を落としていった。
「…ぁ、そろそろ測れたか……」
足元に座っていた慶兄が、私を覗き込んだ。
「……やっぱり俺のせいだったんだねぇ………」
泣くなよ、と目尻を親指でなぞった。
額の氷なんてずれ落ちていた。
体温計なんて随分と前から口になんて咥えられてなかった。
ただ、泣き声を殺すのに必死だった。
「……寂しいのです、慶次兄さん…」
行かないで欲しいと咄嗟に私に触れている手を引き止めた。
「…馬鹿だね、まるで死ぬみたいじゃないか…」
慶次はまるで赤子にするように、両頬をやさしく包んで。
あやすように兼続の額に触れるような口付けを落とした。