玩弄 牡丹帛










 * * * 

風の噂で、牡丹が怪我をして暫く仕事を休んでいると聞いたから。
どこかで客なんて取らないと思い込んでいた。
…どうしてそんなことお目出度い事を思っていたんだろう。
慶次は例の如く、牡丹の部屋に手紙を取りに電柱を登りそっと窓に近寄った。
だが、定位置に置かれて居る筈の小豆色は見当たらない。
傷でも痛んで書けないのか…?
催促する気は無い。気長に構えるつもりだったから。
そんな悠長な事を考え、なら仕方ないなぁと諦める。
しかし慶次は、だったら姿を見て帰ろうと思ってしまった。
せめて、後姿でも良いからと。
灯の点っていない部屋を覗いてしまった。
「………」
それは後ろ姿だったが一人じゃなかった。
行為は終わっていたが、あの餓鬼は後ろから牡丹に抱き着いて髪に口をつけていた。
接吻された牡丹はどう見ても嫌そうに、体を縮こませる。
闇に浮かび上がる白い肌には痛々しすぎる、刀で切られたような傷が艶やかにてかった。
一歩違えば、それは狂気にあてられた絵師が描いた名立たる浮世絵のように。
直視できない光景だった。
慶次はどうやって屋根を降りて、家に帰ったのか分からなかった。
ただ、余りに悔し過ぎても涙が出るのだと。
夜陰に紛れ、足を取られて転げた体を其の侭に悟った。
家に着き、今までの手紙を出して何度も読み返した。
何かしなければやり場の無いこの気持ちが納まりそうに無い。
「………っ」
しかしどんなに面白い話の書いてある牡丹の手紙を読んでもあの光景が目に焼きついて離れない。
頭がおかしくなりそうだった。狂ってしまいそうだった。
慶次は胸を掻き掴んで、もう無理だと呟いた。
「伊達が何だってんだ…叔父貴が何だってんだ…」
俺は名演目だと謳われる演目を、嫌になるほど演じてきた。
今なら分かる。
大蛇になる気持ちだって、入水してあの世で逢おうと誓う気持ちだって。
「あんたが…望んでくれなくても…」
この懸想が叶うなら。
この思いが報われるなら。
人は、誰だって裏切れるのだろう。
誰だって見限れるし、蔑ろにできるのかもしれない。
そして、誰であってもきっと、殺してしまえるのであろう。
「俺は…」
慶次は家からそう遠くない厩に行った。
繋がれている馬たちは、歌舞伎の演目を郭の外でする時に荷物運びに使う。
その中に、慶次が気に入って勝手に名前を付けた黒い駿馬が居た。
「松風……、俺は明日の白昼堂々…牡丹を盗もうと思う…」
慶次は松風の鬣を撫でる。
「…最低と思うなら…それでいい。…哀れんでくれるなら、頼む。この思いを遂げさせてくれ…」
そして静かに、松風を繋いでいる紐を解いて家の庭先に連れて帰った。