文字鎖





法隆寺



「…昔、出雲の大社に行ったことがある…霊験灼かな場所だったねぇ…」
同じ部屋で別のことをしながら一緒に過ごしていた。
慶次は本当に思いだしたかの様にぽつりと呟いた。
相槌だけでも足りるが律儀な兼続は筆を走らせつつ返す。
「…それは不識庵様と、どちらが灼かかな?」
その言葉を聞き、虎はふっと笑って身を起す。
兼続の写した和綴じの抄に、床の本を挟んで栞代わりにして。
「…八百万の神様と仏様に相撲をとらせんのかい?面白いねぇあんたは相変らず。」
「どちら…と思う?」
間髪入れない問いに、慶次は苦く笑って頭を捻る。
「…信仰の厚さってことじゃないかね?」
「然もありなん…よって、この地は庇護を受けているのだ、越後の白龍にな。」
筆を持った儘振り返り笑顔をみせると、慶次はまたも苦笑った。
…妙だ。と、仕草に違和感を読み取り慶次の顔を見ながら、兼続は思考を廻らす。
慶次が読み耽っていたそれは、厩戸王の挿話なのである。
出雲の社には何も関係が無いのに、何故…
答えに窮し頭を捻る兼続に、複雑な面持ちで慶次は言った。
「…いや、何…天女の如く美しき戦女を思い出したのさ…」
咄嗟に心当たりがある女性の顔が思い出される。
おおよそ巫女装束に華やかな番傘で行脚していた麗人であろう。
「阿国さんは番傘で空を飛べたからねぇ…愛馬で飛んだっての読んだ時にふと、さ。」
京都弁で柔らかく物事を切り抜ける、神秘的な姿が目に浮ぶ。
「…文などは交わしておらぬのか?…昔、惑わされそうになったと聞いたぞ?」
からかい半分に言うと、慶次は勘弁してくれと笑う。
「俺ぁ、佳人に誘われても好みじゃなきゃお断りだ。」
「贅沢な奴め。」
「…てのは話半分でな……ただ人は情あれ…夢の、夢の…夢の……」
「昨日は今日の古…今日は明日の昔。か?」
その有名な恋歌を言い終わらぬうちに、背中に温かさを感じた。
緩やかな衝撃に顔を窺おうとしたが思い留まる。
「…ってだけ書いた文が…来てから…所在が分かんねぇんだよ…」
飛脚が手紙を置いたまま消えたから返事が出来ないんだと、慶次は呟いた。
ともすれば、鏡合わせの相手が見えない銷失感なのだろう。
そなたらは同族だった。
男に生を受けたのがそなたなら、女に生を受けたのがあの女性。
「…大事無い、そなたに私が不可欠なように、あの女性もまた誰ぞ、兄弟よりも不可欠を探し当てたに違いない!」
「…そりゃぁ…いい奴かねぇ…?」
遺筆とも取れなくは無い文の置き去り方に、恐らく慶次は参っていたのだ。
多分、寝ても醒めても、ずっと、ずっと。似てるからこそ。
「おお、それはそうであろう、きっと絶世の美男子ぞ!私とよく似たな!」
その死の匂いを払拭しようと努めて明るく振り返り、肩に埋まった慶次の頭に頬擦りをした。
なら良かった…と、不安を掻き消すように慶次は呟き、微かな溜息を吐いた。