ファレンティーヌス





ファレンティーヌス



そのだ、年中常春色ボケ最前線の奴等に感化されてついついホワイトデーのお返しなんか買ってしまった。
だが、気が付けば、安売りで美味い菓子が手に入る機会だったのだ。
なんて言い訳を並べられるような日付ではなくなってしまった。
別に俺達は記念日とかイベントとかそんなものを気にして生きていない。
毎日が新鮮で、積み重ねで、其れで良いと思っている。
が、時としてそんな考えを揺るがされてしまうのだ。
「…流行に流されて馬鹿騒ぎも、悪りぃもんじゃないぜ?」
「…口実も最大限に使ってこの世を愛しき人と謳歌せねば、勿体無いぞ?」
どこやかしこに桜を咲かせるような灰を振りまいて歩いていそうな二人に。
ついつい百貨店に連行され、気が付けば見栄も手伝って高級チョコを買ってしまって。
「なんであいつらにこんなに悩まされなければならんのだぁあ!」
思考回路がショート寸前の三成は、大学構内の学食で叫んだ。
「…まぁまぁ三成さん、落ち着いてください、この豚塩丼おいしいですよ?」
相談に呼ばれた?体育会系幸村はジャージ姿で御飯をかきこんでいた。
三成は鞄に手を突っ込んで、買ってもう幾日にもするチョコを掴んだ。
そう幸村を呼んだのは、この持て余しているチョコを二人で食べてしまおうと思ったからだった。
「…あ、そういえば」
幸村は箸を置いて、三成を見る。
「左近さんは元気ですか?最後に見たのがクリスマスだったものですから…」
出しそうになったチョコレートをそのままに、生きているとだけ言う。
「…あの方は優しいお方ですよね、前々から存じてはおりますが…」
「?」
三成は、怪訝にそうかと頭を傾げる。
「…ほら、ケーキなんか何処ででも正直買えますでしょう?なのに、態々空港から直で来られて…『貴方の所で買ったと言えば喜ぶから』なんて、痺れますよっ」
予想もしない不意打ちに、三成は頬を赤らめる。
「俺も将来、あんな優しい男になりたいと思いましたよ」
「む、無理だろ。……幸村は幸村のままでいい」
やっぱりなれませんか、なんて笑ってお茶を啜る幸村を見ながら三成はチョコに伸ばした手を引っ込めた。
無意識な幸村の攻撃はますます三成を追い詰める。
もっとも、頑なな三成が勝手に追い詰められたと思っているだけで、幸村はその日の出来事を言っただけであるのだが。
「幸村済まん、用を思い出した。呼びつけたから昼飯代は奢る、またな。」
「ぁ、三成さん。」
急くようにその場を離れようとした三成を幸村が止める。
「三成さんは、三成さんのままでいいんですよ」
「…馬鹿」
学食の扉の向こうに消えた三成を見送って、幸村は笑った。
まったく、と三成は家路についていた。
貴方がそういうこと嫌いだから、別にどうとも思ってませんよ。
俺は貴方と一緒に居られるだけで、十分です。
なんて言葉が妙に頭をちらついて離れない。
「……た、偶にはこういうのも悪くないだろう、そうだ。」
三成は包装が少々崩れたチョコレートを鞄から出して、机に置いた。
「驚くようなことをしてやらねば、ぼぼ凡庸な毎日では…なっ」
黒い箱に捲かれた紫のリボンを体裁よく直しながら、三成は呟く。
「どのような顔をするのか…、ああ、楽しみだ!」
己に言い聞かせようと何度も言い訳を並べていると。
「只今?」
左近が、仕事帰りのスーツでスーパーの袋を引っ提げて戻ってきているのに気付けずに。
「うわぁあああ!!!?」
まるで襲われたかのような悲鳴を上げて、三成は振り返った。
左近はその叫び声に驚き、肩を跳ねさせた。
「…俺のマンションでこんな手厚い歓迎を受けるとは思って無かったよ…」
防音ですが、程ほどにしてくれよ?なんて笑いながらキッチンに向う左近。
三成は胸を掻き掴んで、五月蝿い鼓動を落ち着かせる。
こんな予想しない事態は想定外だ。
「…今日は…ハヤシライスで良いだろう?…それとも何か食べたい、も…」
振り返ったと同時に言葉を失う左近。
買い物袋をその場に置いて、三成に近づく。
「……何か、大学で嫌な事でもあったんですか?」
三成は胸を掴んだ手を其の侭に、もう片方でチョコを鷲掴んで左近に押し付けた。
「…?……ぇ、ちょ……三成?……」
「ぅ、五月蝿ぃ……くれてやるといっている…っ…」
左近は解せない顔で胸に押し付けられて、形状が危うくなっているチョコを受け取る。
「…物産展のような企画展が百貨店であって、たた偶々行ってみたら美味そうなのがあったんだ、だが俺はあまり甘いものは好かん、なのでカカオが多めのを買おうと思ったんだがどうやら人気で売り切れていたのだ、仕方ないから甘めのを買った、がやはりあまり気が乗らんので左近にやる。」
言いながらどんどん俯いてとうとう床を見ながら言い訳を並べた三成。
喋るうちになんだか情けないような悲しいような複雑な気分になる。
「…三成………」
左近が、呟く。
「…嘘はいけませんな」
三成はかっとなり、涙目の顔を左近に向けなおした。
「嘘な…!」
「ありがとう」
間髪を容れず 、左近は薄く柔らかく笑ってチョコレートの箱に口付けた。
箱を隔てた奥にある瞳が、ゆっくりと見開かれ三成を捕らえる。
「…きっと砂糖より甘いでしょうね」
三成は茹でた蛸のように顔を上気させ、顔を背けた。
「………ハヤシライスでいい、早く向こうに行け…臭い………」
左近は黒の包装紙に薄っすらと浮かぶ同系色のホワイトデーのプリントに目を細めながら身を翻す。
晩酌でこのチョコレートがほとんど三成によって平らげられるのは言うまでも無い。