袖にすまじき褐色の瞳





袖にすまじき褐色の瞳



蜂蜜色の肌持てるも良し
亜麻色の髪こそ美しけれ

本当に美しいものは人を黙らせる。
左近は思わず唸った。
暮れ泥む夏の太陽は部屋全体を照らして浮かべていた。
三成が左近の視線に気付き訝しげに左近を見た。
「…なんだ?」
視線を合せてくれるだけましになったとつくづく思う。
最初はまあ…態度も目付きも言動も…
好かれるものでは無かったと思い出してつい顔が崩れた。
「気色悪いぞ」
前言撤回。やっぱり口はお悪いようで。
左近は苦笑いをした。
夏の暮は清涼感が際立ち外も明るい。
打ち水をしているからなおのこと際立つ。
控え目に開けてある障子から夜が近寄る気配がした。
「貴様…俺を無視するとは良い度胸ではないか」
主の機嫌が損ない始めたの気付き慌てて返事をする。
「無視などとは、見蕩れていた迄にござりまする」
真剣に答えた殿への返事の返答は、丸めた懐紙の飛礫だった。
「…大概にしろ、この色魔。」
三成は視線を手元に戻し呟いた。
大量に残っていて片付かない書状の為に呼出された左近がこんな調子である。
三成は溜め息ひとつを大きくついた。
左近は気も漫ろになるこの心情を汲み取って欲しいと心の中でぼやく。
だってどうして美しいのだ。
橙に照らされた髪、柳眉、筋の通った鼻、薄い唇…
時折伏せられる瞼から伸びる睫毛は頬にまで影をつくる。
「…なんて…」
美しいんだろうと言いそうになり口を噤んだ。
本気でご立腹な殿はそろそろ文鎮でも投げ付けてきそうな勢いである。
「…減らない紙でしょうな、夜通しでも終えそうにない」
前後の脈絡を考えながら言葉を繋ぐ。
「そう思案する暇があるなら字を連ねろ戯け。」
喋らなきゃ完璧なのに。
まさに玉に傷。
辛辣なことで。と左近は筆を走らせながら思った。

 * * * 

「…っ、よし、終いだ!」
三成は嬉しそうに最後の書状に宛名を書いた。
時刻で言えば丁度寅である。
「俺は未だ何枚か…」
左近は墨をつけながら三成に言う。
「知らぬ、俺は済んだのだ。」
すぱっと言い切られ二の句も継げない。
明らかに手を差し延べる意思が見られず、いっそ清々しい。
左近は寝惚けまなこをこすりつつ、残りを書き始めた。
「…出来上がり」
左近もようやく手紙を書く代替役を返上した。
乾かぬ一枚を下敷きの上に置き去りにし、それ以外を簡単に纏めた。
「…殿、お待たせしまし」
視線を上げるとそこには畳に横たわる主。
夢路をたどっているのであろう。左近の呼び掛けに返事もしない。
左近はふぅと息をもらした。
家臣の前では気丈に振る舞い弱味を見せない殿。
人間不信の傾向がありできるなら総て自分でこなそうとする殿。
そんな殿が。
俺に仕事を手伝えと要請し、あまつ気を許して寝ている。
こんな優越感は無いだろう。
左近は羽織を脱ぎながら三成に近寄った。
「…殿?」
反応は無く、吐息がもれるのみである。
左近は起こさない様にそっと自分の羽織を三成にかけてやった。
そのまま腰を下ろして左近は三成の髪を撫でる。
指に絡めるように髪を梳いてみた。
するりと逃げるように髪が落ちる。
絹のように柔らかく細い髪の毛。
その亜麻色は類を見ない程珍しい。
そして何より美しい。
「…俺としたことがこの惚れ様…」
惚れたら負けだと掲げている自分が。
なんとも可笑しい。
不意に夜風が吹き、灯火が揺らめき消えた。
しんと静まりかえる空間に漂う、灯火の消えたことを知らせる煙の匂い。
暗さに目が慣れてきたのか、何となく部屋の構造が青白く分かり出す。
左近は三成の髪を撫でるのを止め、ただ眺めた。
たった今思いを伝えたらきっと返事は帰って来ないだろう。
それどころか、避けられもしなければ、煙たがられることもない筈である。
「…殿…」
やはり返事は無い。
疲労困憊で泥のように寝続けている。
「…愛しいと言ったなら、殿は困りますか?…」
少し強目の風に、障子がかたかたと揺れた。
思いが風に消された気がした。
「…困るのですね?」
途端、何処からともなく隙間風が吹き鳴声をあげた。
左近は眉間に皺を寄せて黙った。
鳴声は鳴り止むどころか甲高くなり、悪寒まで感じさせた。
「…身の程知らずと言いたいのか…」
左近は立ち上がり、下座に向かい足を進めた。
障子を引き廊下に出る。
星屑が瞬いて何かを打診しているかのように思える。
…諦めろ…とでも言いたいのか…
半身を振り返り、左近は三成を眼中に収める。
「…お休み、なさいませ……」
静かに障子を閉めた。
左近は暫く、潤む瞳で星を睨み上げた。