宵月夜










 * * *

月明りは、書物でも読めそうな程明るい。
満月ともなると、風物詩も興を添えるだけとなる。
庭先にひとつふたつと飛び違う蛍が霞む程に見事な月見日和。
兼続は、度の強い酒の瓶と鮮かな紅と黒の盃を手に昼の場所の軒下に座っていた。
絶好の酒を飲む機会だ。慶次が私が居ないからと酒を飲まない筈がない。
その確信めいた思惟はそうであって欲しいとの切望でもあった。
もし今、酒の肴に月光を浴びているなら…
兼続は手酌で盃を満たした。
水面に揺れる月が、なんとも言えない風情を醸す。
「せめて…」
忍ぶ恋なれど、場所をともに出来なくても…
同じものを愛でるぐらいなら…
そなたには、この慕情。伝わる訳が無い。
きゅっと盃を傾け、飲み干す。
相変わらず月は優しい。
今日は呑まれてしまおう。
酒に溺れて、微睡みそなたの暖かさを思いだそう…
「…兼続」
注ぎかけていた手が震えた。
「…そなた、月見…は…」
どうした。と言い損ねた。
言葉より速く近寄った慶次は、有無をいわさず隣りに座った。
投げ掛ける質問の答えはおろか、気怠そうな雰囲気で私を見詰めてきた。
「…あんた、飲まないって…言ってなかったかぁ?」
一瞬にして広がる酒臭さに酔って出来上がって居るのだと理解出来た。
慶次を酔わせた月を少し恨めしく思った。
「…月が私を誘ったのだ…思わず飲まなくては居られなくなるまでに」
酒を注ぐのを再開しようとして、慶次が何も持っていないことに気が付いた。
酒にも酔っている慶次がまさか朝昼のことを言わないだろう。
もし聞かれても酒の席。はぐらかしはきく。
「…慶次も飲もう。奥から盃を取ってくる」
傍らに瓶と盃を置き、膝を立てた。
「行くな。」
言葉よりも先に腕を掴まれ、油断していた私は体勢を崩してしまう。
「…慶」
「消えちまう。」
ふらついた体は、慶次の引き寄せる強い力と相俟って。
済し崩しに胸に掻き抱かれた。
「……慶…次…」
起こっていることが俄に信じられない。
痛い程に強く抱き締めて、私を離そうとはしない慶次。
「…盃なんかなくても酒は飲める、でもあんたが居なくなりゃ俺はどうすりゃ良い…」
耳元で聞こえる声が、驚く程切なかった。
「…明る過ぎる…月が…あんたを掠ったらどうしようかと…考えたらいてもたっても居られなくなった…」
慶次は兼続の頭を縋るように撫でた。
「…心配して見に来たら案の定、酒なんか飲んでる…俺とは飲まないって言いながら…」
震える体を隠す様に言葉で捲し立てる。
「…月を見上げたあんたの顔…本当に怖かった。連れ去られる前に兼続に近寄らなきゃなんねぇと…どれ…だけ…」
慶次はなおも言葉を連ねた。
最近よそよそしいし、避けられている様に感じる。
真っ向から俺を見ない、返事は上の空…
色々考えたと言った。知恵熱で眠れない日もあったという。
それを今晩私に伝えようと晩酌に誘ったのだとも。
「…俺、兼続が嫌いなら出てくよ……」
酷く優しい声で、そう言うなり言葉が切れた。
悩ませて出させた答えがそれならば。
なんと私は酷薄なのだろう。
「…そなたを嫌いになる理由が何処にある…」
兼続は己を呪った。
「…そなた程の男を好かぬ道理があるものか…!」
何よりも心を掴んで離さなかった存在を。
こんなにも傷付けて。申し訳なさで体が震えて止まらない。
どうしたら良いのかそれすらも分からない。
「…そなたを好いている…唯、それだけなのだ…」
罪悪感で焦げしまいそうだ。
言葉を聞いたとたん、慶次は身体を離し奇異なものでも見るかの如く兼続を眺めた。
チリチリチリと虫の鳴声が聞こえる。
そっと慶次の掌が兼続の頬に触れた。
ぴくっと小さく体が微動し、慌てて手を重ね合わせ頬から離れない様にした。
しかし、兼続の自責の念が視線を絡めることを許さない。
「…兼続、俺を見てくれ、…兼続…」
「…見たいが…見れぬ…」
慶次は兼続の顎を掴むとくいっと自分の方を見せた。
「……綺麗だ…」
言葉の甘美さに眺めさえ滲んだ。
慶次は首根を押さえ口付ける。
何度も何度もまるでそこに居ることを確かめる様に接吻をした。
静かに顔を遠ざけて慶次は兼続の瞳の涙を、指の腹で拭った。
「あんたを月には帰さねぇ、もう離さない」
慶次は兼続を抱き締めて、愛していいかと囁いた。
箱庭にある池の水面には、二匹の蛍が淡く光りながら何時までも飛び続けていた。