焦熱地獄





焦熱地獄



焼燬の業火に絆されて
滅び逝くしか術が無い

ひとつ。
篝火の果てで命が事切れた。
紫黒の空を照らすそれは、有無を言わず命を奪う。
鼈甲の羽が燃え上がりながら闇に消え逝く。
兼続は静かに明りから身を遠ざけた。
「…飛んで火に入る夏の虫って、どう思う?…」
傍らでしゃがんでいた慶次が、首だけで兼続に問掛けた。
向けられた顔は、夜に支配され表情は掴めない。
「…儚いと、思う…」
兼続は燃え滾る篝火を見詰め、その過酷な暖かさを脳裏に焼き付けた。
慶次は立ち上がり炎を眺める。
「…俺は、愛しく思う…」
一歩前に足を進め、慶次はまるで鏡でも覗く様に火を見ている。
「…どうして、愛しいのだ?…余りに可哀想だからか?」
一度は離れた兼続だが、慶次の側に近寄った。
慶次は少し面妖な顔をしたが、すぐに微笑を湛えた。
「…いじらしい。」
慶次はそうだけ言うと、兼続の肩を抱いた。
兼続には慶次の言動が不可思議で仕方ない。
「…犬死にの何が…」
松明の火の粉はゆらゆらと浮かんで闇に消えていった。
「…少しだけあんたに似てるんだ…」
慶次は切なそうに呟いた。
「…私にも分かる話し方をしてくれないか…」
相変わらず屋外は暗さを増し続けて、炎を浮き上がらせる。
そしてまたひとつ。
身を焼き付くしてくれんとばかりに、蝶が火中に飛び込んだ。
その地獄揚羽は鱗粉に火を纏いながら、一瞬にして無に帰した。
兼続は慶次の肩に頭を預けた。
急に自信がなくなった慶次に、兼続も心が揺れた。
目の前の惨劇も拍車をかける。
「…上手く言えない。…だが、似てるんだ…」
ぱちぱちと松が燃える音がする。
私は肩に乗る慶次の手に己の手を置いた。
「…心配するな、私は死なぬよ…」
いつになく、覇気がない慶次に兼続ははにかんだ様に笑う。
引き寄せる力が一段と強さを増した。
かと思ったら、慶次は私の頭と自分の頭をこつ、と合せた。
肩を抱いていた手はいつの間にか、頭を引き寄せている。
「…どうしたのだ…」
らしくない。
前田慶次ともあろうそなたが。
意気消沈とは如何なものか。
背の関係から肩を抱いてやる事が出来ないから。
兼続は慶次に向き直り、胴回りに腕を伸ばして抱き締めてやった。
背の後ろで炎が巻き上がる。
「…兼続…」
自ら死に急ぐ魂達にあてられたのか。
慶次は感傷を含ませながら兼続を抱き締めた。
「…虎が、形無しではないか…」
兼続は小さく笑って、背中を擦る。
虎は牙を剥き獰猛な筈なのに。
懐の虎はむしろ杞憂に苛まれて衰弱している。
「…虫はな、」
慶次が呟いた。
「光を求めて彷徨うんだ」
仄かに篝火が、慶次の伏せた悲痛な顔を照らした。
「それが、どうして己を焼き殺すと信じて近寄る?」
兼続は二の句が継げない。
「こいつらは唯、我武者羅に生きる為に…!」
慶次は堪らず兼続を強く抱き締めた。
「…慶次」
「…兼続、…俺は死花を美しいとは思わない。」
兼続は、慶次の胸板に添わせた顔で頷いた。
「…だから、死なないでくれ…」
背後で、またひとつ命が逝ったのだろう。
焦げた匂いがした。
「…大丈夫だ、私は」
兼続は、ここにいるだろう?と頭を擡げ頬に手を添わせた。
慶次の苦しみが私に流れ込めば良い。
私で薄めてやれれば良いのに。
私でどうにかしてやれれば…
兼続は爪先立ちして下唇を突き出し瞳を閉じた。
慶次は僅かに震えて唇を合せた。
合せた唇は段々と熱を持ち、熔けてしまいそうだった。
慶次は執拗に接吻を施した。
まるで息をするのさえ惜しそうに。
名残が尽きないのか、顔を遠ざけた後も私の目を見詰め続ける。
「…虫は、生きるのに夢中で気付かないもんなんだ…」
そう零した慶次の顔は、炎に魅せられ優しく見えた。
「…慶」
刹那、松明は高らかに燃え上がり兼続の言霊を喰らった。
慶次は底知れぬ不安に兼続を壊さんばかりに抱き締めた。
兼続は何をしてやれば良いのか分からなかった。
どれだけ諌めてやっても励ましても。
慶次は何かに取り憑かれた様に弱々しい。
「…そなたの側を離れぬから」
体が熱いのは、篝火のせいだけでは無いだろう。
「…そなたも、私から離れてくれるな…」
慶次は私を見た。
そして少しだけ悲しく笑った。
またひとつ。
魂が消える音がする。
煉獄の灼熱は無情にも慶次の心を汲みはしない。
まるで、兼続が光に吸い込まれないようするかの如く。
慶次は篝火が消えるまで兼続を離さなかった。