落花狼藉










 * * * 

百合が野山を彩り始めた頃。 慶次は暇を持て余していたのだろう。
散策でもしようかと思う、と松風の手綱を持ちつつ笑った。
兼続はあれから極力笑うか、喉仏を見て瞳を合わせぬようやり過ごしていた。
「…私も、花を愛でたい。」
だが、身体は正直だ。
目を合わせなくなったら今度は口が勝手に動く。
慶次は少し頭を傾げて相槌をうった。
「諸共に」
両手をあげて喜んでしまえれば…
兼続は葛藤が激しい胸中を鎮めながら笑い返した。
心ではこれ以上を求めては慶次の枷になると分かっている。
だが己の面の皮は驚く程に、そう愚直な程に、否定されなかった嬉しさを湛えた。
早速、馬で慶次が気に入りの山道をゆるりと進む。
慶次は普段あまり自分からは喋らない飄々とした男だ。
山道はただ馬の足音が不揃いながらも軽快に響く。
程無く伐採して年数が経ったであろう開けた場所に着いた。
切株が辛うじて分かる位に生茂る花。
「…壮観だな…!」
群棲するそれは宛ら凍て付きを忘れた六出花。
兼続は思わず馬を降り切株の上に立った。
「…燥ぐねぇ…」
慶次もまた馬から降りていたらしい。
後方から聞こえた声に兼続は振り返った。
「…いや、この様な美し…」
兼続は慶次の姿を捉えた。
しかしそれ以後、兼続の言葉が消えた。
咲き誇る百合の花の央に慶次が立って居る。
慶次はそのまま伏目がちに百合を見下ろしていた。
重力に従い垂れ下がる金髪が横顔を隠して。
そしてどこからともなく吹いた微風が慶次の金糸を靡かせて。
日影に照らされた長い髪が透けたかと思えば。
薄い唇の端が僅かに上がって、目尻の朱だけが…やたらと際立って…
「…慶次」
朽ちてしまいそう。
そう思った時には既に足が駆け出していた。
花に足を取られて縺れそうになりなる。
だが、花を気に掛ける余裕もない。
早く引き止めなければ、この世から居なくなる。
私の前から消えてしまう。
「慶次!」
兼続は慶次の手首を掴み。
直ぐさま慶次の顔を覗きこんだ。
「慶次」
頼むから、何時ものあの底抜けの明るい笑顔で、私に笑ってくれ。
「…どうしたんだい、花を散らして狼藉者だねぇ…」
しかし、慶次は兼続の思いとは裏腹に眉下がりに僅かに笑った。
後方から吹いてくる柔らかい風から、草花を踏み荒らした匂いがした。
「…兼続…?」
胸のもやもやした不吉な高まりが口から溢れる。
「………向日葵が、狂い咲いた、様で……」
慶次の顔色が変わった気がした。
「…実も、結ばぬまま…朽ち、そうで…」
何を言っているのか、自分でももう分からない。
兼続は夢中で言葉を捲し立てようとした。
「土に、なれぬか?…水でも…良い…」
「兼続」
だが、気だけが空回りして口が追い付かない。
何一つ巧く伝わらない。
「……天道様、私から意味を、奪わないでくれ……」
兼続は慶次の手首を握ったまま俯いた。
日光に照された白百合達が眩しく、蹴散らした花弁が風に乗って流れる。
花粉の香りと草の匂が混じり、鼻の奥を突く。
傍に居てくれ。
兼続は藁にも縋る様に慶次の手首を強く握った。
「兼続……」
空を流れる叢雲が、燦々と降り注いでいた太陽を覆った。
兼続は静かに我に帰って手を放した。
「…ぁ、いや…」
私はさっき何を口走った?
兼続は己が怖くなり慶次を見ながら後退りした。
慶次はその反応を見て更に眉を顰めた。
「…済まぬ、現を吐かした…忘れてくれ…」
「兼」
「忘れてくれっ!」
伸びてきた手を弾き飛して、兼続は元来た道を走り出す。
無様な程に走れないが、それでも懸命に逃げた。
「兼続、待ちな!兼続っ」
追い掛ける慶次も花が邪魔で距離が縮まらない。
後少しで山道に出られる。
兼続の目前に先刻来た山道が見えた。
「兼続っ!!」
だが道に出る寸前で、慶次は兼続に追い付いて腕を捉えた。
そして、逃げないように兼続は後ろから慶次に掻き抱かれた。
「あんた、勝手だ!」
兼続は慶次の腕を振り払おうと、身を捻った。
「言いたい事だけ言って!逃げて!」
聞かないようにするためか、兼続は耳を押さえて頭を振った。
誰がどうして、想いを伝えようなどと思ったのか。
「放せっ」
側に居てくれるだけで良いと。
あれ程。
言い聞かせていたのに。
「俺は前から、兼続、あんたを」
「始まらねば終わらぬのにっ!」
慶次の腕が一瞬緩んだ。
しかしすぐさま、更に強い力で抱き締められた。
「…今日の事全て忘れてくれぬか…」
あれほど求めていた腕の束縛がこんなにも苦しい。
兼続の俯き加減の顔から泪が一粒落ちた。
「………」
慶次が返事をしないことが堰を切ったのか、兼続はぽろぽろと涙を落す。
「…兼続には悪いがな」
兼続の肩を掴み反転させて、慶次はもう一度抱き締めた。
「念願だったあんたを手放す気など、毛頭無い」
兼続を己の胸に沈め、慰めるように呟く。
「…狂い咲いた同士なら、きっと大丈夫だ…そうだろう…」
兼続は唯、瞳を閉じた。
溢れる泪は慶次の着物に吸い込まれる。
それは、喉から手が出そうな位に欲しかったぬくもり。
でも慶次。
百合と向日葵では。
実が出来るのことは有りはしない。
それは鳥と止まり木とでも覆らない。
終ぞ。どんなに睦み合っても、どんなに恋い焦れても、だ。
兼続は求めてしまった己の愚かしさに、立ち続けることすら出来そうに無かった。