乞巧
銭塘の蘇少々よ
愛する貴方には未だ逢えない
七夕には空は晴れると相場は決まっている。
一年に一度の逢瀬を阻むなんて、野暮ったい真似。
誰がするもんかい。
未だ夏の名残のする風が首筋を撫ぜる。
口角を上げ見上げた夜空には天の川。
金銀の砂子が惜し気もなく振りまかれた空は、今日は殊更光を放つ。
しっかしあの朴念仁。
慶次は兼続の顔を思い浮かべて苦く笑う。
今日ぐらいはとか思わんかね。
今日だけはとか思えんかね。
酒の入った瓶子をくるくると手首を軸に回す。
二人で飲もうと燗をしていた酒を眺めてまた苦笑。
ちびちびと口に含む酒は辛口。
酒の肴を仰げば、光る事しか知らない牽牛と織女星。
はぁ。
零れたのは逢引を羨む溜息か。
釣れない恋人を恨む嘆息か。
「家々乞巧望秋月、穿尽紅糸幾万条…」
そりゃぁさ、そんな日でもあろうよ。
慶次は兼続に言われた言葉を呟いてみた。
部屋を尋ねるとふっと笑って、俺は待ってましたとばかりに嬉しかった。
そうしたら、こんなこと言われるんだもんねぇ。
「毎日逢えるけど、ねぇ…」
盃に注いだ酒に映る己の瞳が潤んでいるように見える。
慶次は水面の角度を変えて空を写した。
掌に散在する、天の煌き。
慶次はその盃をそっと隣に置いて、兼続に用意した盃に酒を注いだ。
直ぐ隣に並べて地上にもささやかな天の川のもどきを作る。
燗はもうぬるくなった。
何刻一人で飲んでいたのだろうと慶次は胡坐を立膝にして縁側を眺めた。
心成しか薄暗くなった気がして盃に映した天の川を眺めれば。
「こりゃ…終幕な運びかね…」
映っていたはずの天の川は雲に隠されてしまったらしい。
まぁいいさ。
俺は明日にでもまた逢えるじゃぁないか。
「こんな日もあるさね」
空になった瓶子を集めて盆に乗せた。
「…お呼びで無いか?」
声のする方に向けば、瓶子を片手に笑む兼続が立っていた。
…あんな事言って無下にしておきながら、今更現れるとは。
どういった風の吹き回し。
そう悪態をつこうと思っても惚れた弱み。
「…随分と粋な事をする。俺の夜這いには乗らなかったくせに」
はは、と顔を伏せて慶次は笑った。
すると兼続は隣に座って作りたての燗を差し出す。
「知らないのか?」
慶次は兼続の手に持たれた瓶子に充たしたままの盃を近づけて顔を見やった。
そしてこれでは注いでもらえないと気付き、慶次は一気に飲み干した。
それを見ながら兼続は言う。
「元来七夕は牽牛に惚れた織女が川を渡り逢いに行く日ぞ?」
慶次は盃を落として、兼続の手首を掴み肩を押して組み敷いた。
瓶子は悉く倒れ、中身は盆を溢れて廊下に流れる。
慶次が掴んだ手に握られていた瓶子の酒は二人の手を塗らした。
「…熱いぞ、慶次…」
「…当たり前だ、燗なんだからよぉ…」
「血潮が止まりそうだ…」
「…この期に及んで、まだ逸らかすたぁ…」
慶次は両の手首を強く握った。
「なら、本当に何もかも止めてやるよ」
兼続の手から、抓み続ける事が出来なくなった瓶子が転げ落ちた。
慶次は袖が燗で濡れるのを気にせず、そっと口唇を奪う。
もう有無など言わせない。
あんたは惚れたと言った。
惚れたから来たんだと、この口が言ったんだ。
「…んっ…」
執拗に口に吸い付くと時々息をさせて欲しいと言わんばかりに首を捻る。
させてたまるかと噛み付くと、んんと小さく鳴く。
慶次は手を離し、兼続の耳を塞いでどんどん深く唇を貪る。
兼続も放された手を必死に慶次の首裏に回す。
目の前のきつく伏せられた瞳。
それが薄っすらと開いた眼には斑な星屑が映る。
あぁどうしよう。
理性が飛んじまいそうだ。
だが、そうだきっと。
牽牛も。
恋に焦がれた織女の瞳に中てられて。
間違いなく。
狂おしい程に求めたはずだ。
慶次の手が着物の襟を強引に分けた。
兼続の手が引っ掻き傷を作るかのごとく、首から胸へと流れた。
終