燦めける漆黒の瞳





燦めける漆黒の瞳



白皙こそ好けれ
黒髪も心惑わす

慶次は兼続を眺め思わずそう口にした。
炎暑の砌。
外は眩しすぎるほどに開け明るい。
こんな日まで仕事の為に屋敷に引き籠もる、実質上の主。
根を詰めて仕事をこなす兼続は、一度決めたら絶対に終わるまで休まない御仁。
今日も今日とて妥協もせず、日に背を向けて居る。
そんなに詰めても効率悪かろうに…
慶次は生真面目な兼続に相手にされなくても良いから、話しかけるべく部屋に赴いた。
俺と話すだけで緊張の糸が切れるなら儲けもんだ。
慶次は慶次なりに兼続を気にかけていた。
「兼続」
遠慮無く障子を引くと兼続が座って居る。
筈なのに。
「あ、…ぁ?」
自分でも間抜けだと思う声が出た。
意気込んできたのに。
兼続は床の間付近の柱に凭れかかり寝息をたてていた。
いつも隙のない兼続のなんと無防備な姿。
腰から砕けそうだった。
「…俺が来る必要無かったねぇ」
兼続の規則的な肩の動き。
障子越しの日の光が淡く兼続の服を照らす。
今起こすと、確実に仕事を再開するだろうねぇ…
兼続に近寄りながら散らばる書面を見やる。
字は、芯が通って居るが優しさが垣間見えたものに思えた。
手伝いたいが、こんなに読みやすく書けない。
かえって二度手間になりかねない。
「…済まないねぇ…使えない家臣で」
慶次はそう愚痴を零した。
書面から滑らせるように兼続に視線を合せる。
途端、慶次の顔が蒼褪めた。
兼続の爪と唇がほんのり紫ではないか。
急いで近寄り、頬に手を添わせた。
夏なのにこの冷たさ。直ぐさま揺り起こそうと肩を掴んだ。
が、結い上げて無い肩から流れた緑の黒髪が手の甲に触れたとき。
「…水を浴びたのか…」
合点がついた。
心胆寒からしめるとはまさにこのことであろう。
「…全く困った御仁だ…」
慶次は苦笑い胸を撫で下ろした。
大方、暑さと眠気を覚ます為に水を浴びたんだろう。
しかし、兼続は加減を知らない。
紫になるまで被るかい、普通。
おまけに、結局は寝てるじゃないか。
そんなに頑張ってどうするんだか。
慶次はそう思いながら兼続の髪を撫でた。
つやつやと腰のある髪。
湿っていてさらさらとはいかないが綺麗な髪だ。
慶次は目を細め改めて愛しいと思う。
今すぐ抱き締めてしまいたい衝動にかられるがなんとか押さえた。
未だ思いも伝えて居ない、ただのしがない主従の様な関係なのだ。
畳に跳ね返る光が兼続を起こさない程度に二人を照らす。
白い肌はより白く、長い睫毛に隠された隈が浮かび上がる。
「…消えそうだ」
己の言葉に身が震えた。
怖い。もし…あんたがこのまま消えてしまったら…
慶次は兼続を起こさないように隣りに腰を下ろした。
出来るだけ側に座り、そこに居ることを確かめた。
何故だか夏の熱さも感じなかった。
そっと兼続の肩を引き寄せ、自分の肩を貸すように頭を寄せてやった。
起きないか心配したが気苦労で終わり、兼続は相変わらず寝ている。
切なかった。
何故だろう、言いようもなく切なかった。
「…俺は、馬鹿だねぇ…」
天井を見ながら、慶次は言った。
こんなことしたって仕方ないのに。
刹那の満足の為に、心はこんなにも苦しい。
「…兼続……」
慶次はまた、兼続の髪の毛を弄った。
自分の髪の毛も掴み見比べる。
色も質も何もかも違う。
「ひとつぐらい一緒でも良いものを…」
慶次はその髪の毛に揶揄されている感じがして、二人の髪を一緒に握り込んだ。
たとえば、握っているうちに髪が繋ったら思いを伝えても良いかもしれない。
力一杯握ってやった。
祈るように握る指を弱めて髪を開放した。
まるで慶次の思いを嘲笑うかの如く、二人の髪は離れて遠ざかった。
絡まりもしない。
「…そんな事だろうとは思ったけど…」
高い太陽まで俺を物悲しく思うのか、光を強く降らす。
慶次は悔しくて、もう一度二人の髪を握込んだ。
それでも足りないのか、二人の髪を混ぜて撚る。
終いには束ねた髪を片結びにした。
それでも、寂しさは消えない。
髪の毛は元に戻ろうとゆるゆると解け。
とうとう二人の髪の毛は分離して元の位置に戻った。
慶次はそれっきり動こうともしなかった。
日の光で畳の焼ける音に、胸の焦げる音を重ねる。
そのまま瞳を閉じて、側に居るのに兼続を思い描いた。
「あんたの瞳には…」
慶次は目を開けた。
光に舞う細な埃が静けさを醸す。
「俺は見えて無い…」
言の葉は宙を漂い、光に千切れて音も消えた。
意味も失った。
兼続は慶次に頭を預けたまま、皮肉にも微動だにしなかった。
一筋の涙が虎の瞳から落ちた。