糸緋縅









唇を離し、慶次は兼続の頭を撫でた。
兼続は今にも崩れそうだった。
満たされない現実が、波の様に押し寄せる。
「…やはり、我等は偶然に出会ったに過ぎぬのか?…」
慶次は不安を拭う如く笑い飛ばした。
「俺達は必然だ」
何時もならそれが睦語で済む。
だが情緒不安定な兼続は尚も捲し立てた。
「…何故子も生せぬのに惹かれあう?…この世の理が子孫繁栄なら…」
兼続は慶次を見詰めた。
「…我等に何の意味がある…」
慶次は真剣な顔で黙った。
「…意味が無いから、赤い糸とやらも………おなごとしか繋っておらぬのではないか?…」
悲愴に満ちた兼続の見目は儚くも愛らしい。
兼続は己の両方の指を広げた。
悔しくて震えが止まない。
思えば思う程この慶次への恋慕は無意味なのだと。
どうしてもその結論に辿り着いてしまう。
こんなにも胸は爛れ締め付けられて居るのに。
「…兼続、」
慶次は適当な言葉が見付からないのか、言葉を紡げない。
あぁ、と兼続は慶次の腕に身を委ねた。
打ち寄せる波の様な遣る瀬無さ。
憂さの晴し様が無い。
ひっそり流れる一室の時間の均衡が崩れたのは、兼続の耳に届いた雫の落ちた音だった。
不意な音に、慶次を見上げた。
「…なっ、そなた…」
慶次は静かに、己の唇を噛み切っていた。
噛み傷は深いのか、まるで紅を引いた様に唇は染まっている。
慌てて懐紙を取り出し慶次に押し当てる。
しかし、それは止まるどころか留処なく流れる。
紙を伝いぽたぽたと二人の衣服を斑に染める。
私のせいだ…
武士の契とは示されなくても相手を信頼出来る事。
なのにそれでも足りないと、私がせがんだばかりに慶次は…
「…済まない、済まない、…済まない…」
「…兼続…」
慶次は優しく微笑んだ。
そして兼続に触れていた手を戻し、着物の袖口を歯を立てて引き裂く。
「…慶次?」
そんなことしている場合ではないだろう。
早く止血しなければならないのに。
兼続はおろおろしながら止めろと頭を振った。
慶次は兼続を一瞥するとまたにっこり笑った。
引裂いた袖口は無惨にほつれている。
慶次はそこから、適度な糸を選び取り口に咥えて切った。
「慶次、」
刹那、慶次は唇から流れる己の血で白糸を染めた。
口から紅の糸を引く慶次の横顔。
粟立つほどの気高い、美しさ。
兼続は魅せられ言葉を失った。
慶次は呆然としている兼続の手を引いて、小指にその糸を結わえる。
そして徐に手を差し出した。
「…結んでくれないかい?」
兼続はほろほろと大粒の涙を流した。
震える指でどうにか糸を摘み、慶次の指に結付けた。
と同時に慶次は繋っていない手で兼続の顎に手を掛け、もう一度接吻した。
糸で繋る手。足りない訳では無いが更に指を絡める。
二人は見詰め合いながら、少しだけ離れると慶次が口を動かした。
「…目に見える。だから必然。違うかい?」
慶次の脈打つ鼓動。肌の暖かさ。口に広がる鉄の味。
「…慶次………っ」
絡めた指に力込める。
慶次は兼続を片手で抱いて、泣きやむまであやし続けた。
火鉢の炭は灰になり最期の熱を手放した。
だがそれはもうこの部屋には無用の長物であった。