「…女々しいと笑うか?…」
兼続は俯き、静寂から逃げるように声を搾り出した。
どんな思いで俺が自分を見ているのかと考えたのだろう。
多分、あんたは情けなさで口を覆った。
「………」
慶次は話さなかった、いや話せなかった。
相槌や悲嘆すらあげられない。
どの様にすれば、あんたの為になるのか分らない。
それは時間が解決するものでもなく、時間が過ぎる程に居た堪れない。
なのに部屋から出る事すら、ままならない。
兼続は胸を握りながら嗚咽し始めた。
「…仕方なかろうっ…」
堰を切った、もう止め置くには何もかもが限界だったに違いない。
「…逢いたいのだ…」
何故もっと謙信公の言葉を脳裏に焼き付けておけなかったのだと。
こんなに寂しいとどうして居なくなってから気付くのだと。
数珠が外れてばらばらと散らばるように、兼続は言葉を落とした。
後悔があんたから滲みでてきて、痛いほど俺に伝わる。
「…逢いたくて逢いたくて仕方ないんだ!」
ぼろぼろと涙も落ち、畳の上で弾けた。
「…夢でも良い、幻でも構わぬ…から…だから…」
逢いに来て欲しいのに。
そう、続けたいのだろう。
言わなくても分るよ。
…俺からも、頼むよ。
逢いに来てやってくれよ。
「…置いて逝かないで欲しかった……」
弱々しい声が部屋を漂い掻き消えた。
慶次は黙ったまま聞いていた。
あらためてその口から出た、懸想と言うには余りある、尊い思い。
黄泉路まで追いかけて行って仕舞いそうな程の、一途な恋慕が報われなくて。
可哀想で。
「…兼続…」
呼び掛けても返事は無い。
嗚咽は酷くなり、口を押さえて耐えているのが見ていられなかった。
「…泣かれちゃ辛いねぇ…」
慶次は兼続を持て余していた。
改めて打ちひしがれている己にも気付いて、この思いもあんたと同じぐらい報われないと。
今更ながらに付き付けられて、僅かに伸ばそうと思っていた己の拳を強く握った。
それを気配で分かったのか、啜り泣きながら兼続が喋った。
「…慶次、私に惚れたと言ったな…」
慶次は面食らい、目を見開いた。
「…あぁ、言った。佐和山殿を助けた時だったが、それがどうしたんだい」
兼続はその言葉を聞きすり寄った。
慶次は驚きながらも視線を絡める。
「…私を殺してくれ…」
懇願のまなざしは慶次の胸中を撹乱させた。
私に惚れたなら、造作も無いだろう?
どうにかして欲しい。あの方に狂わされたこの心。
楽にして、欲しい…
濡れた瞳が狂気を孕んで訴えていた。
「…それともなにか?惚れた…などとは、方便か…」
更に躙り慶次に詰め寄る兼続。
慶次は困惑していた。
初めて俺を求めてくれたのが、命を奪ってくれなどと。
どの口がそのような事を言うと、過ごしているだろう。
兼続はふと視線を外した。
そして悔しそうに言うのだ。
「…冗談だっ、忘れてくれ……」
爪を立てられた畳が小さく音を立てた。
助けたいさ、こんなに惚れているんだから。
慶次は苦虫を噛んだ。
惚れると、相手の総てを知りたいと思うのは道理だと。
知れば知るほど、己を傷つけると知りながらも、分ろうとした。
そして知ったのだ、その隙間を埋めるのは、身罷られたあのお方しか居ない事を。
だから、何時でも話を聞いた、出来る事がそれ以外無かったから。
俺が聞けば、あんたが満たされるなら。
それで良いと思った。
助けてやりたかった。
だから今直ぐにでも、屠れるものなら、屠ってやりたいさ!
兼続は何度も深呼吸した。
「…ともかく一度、部屋に戻る…世話をかけたな…」
慶次に目配せして、無理に笑った瞬間。
「…殺してやるよ。」
間を置かず慶次が近寄り兼続を組み敷く。
「……っ、け…」
名前を呼ぼうとして、兼続は言い淀んだ。
余裕の無い切迫した面持ちの慶次。
その慶次が馬乗りになり兼続の首に両手を添わせたから。
兼続は、慶次の優しさが痛い程に感じられ瞳を閉じた。
慶次には其れが堪らなかった。
嬉々とまでは言わないが、ただ安らかに、龍の所へ行ける事を嬉しいと思っているのだ。
その麗しい顔から、緑の黒髪から、反魂香が不意に匂い立つ。
途端首筋から手を離し、腕の自由を奪って接吻した。
唇に生暖かさを感じたのが意外だったのだろう、兼続が早急に目を開ける。
そこには慶次の凛々しい眉と吊り上がった二重の眼。
その瞳がゆっくりと開き、兼続を捕らえた。
黒く深い澄んだ目が、潤んだ瞳を映したのだ。
慌てて押し返そうと手を振り上げようとする兼続。
だが先手を打たれ両手とも慶次に握られていた。
段々重ね方が深くなる口付け。
為されるがまま動けない兼続は受けるしか無かった。
「…っ」
つっと、唾液が糸を引く。
仄かに灯る申し訳程度の光に、その糸が朱色に染まった。
慶次はそのまま暫く兼続を見下ろしていた。
「…何故この様なことを…っ」
声を荒げ凄んだ瞳、目尻からは涙が流れた。
慶次は無言で握った両手の束縛を止め、兼続の顔の両際に手を突っ張った。
「…答えろ、慶次…」
「…謙信公の変わりに、俺を愛してみないかい…」
それは、心の底から湧いた感情だった。
もう代わりでよかった。
一番だなんて贅沢は言わない。
それでも良いから。
あんたが欲しかった。
「それで慶次は幸せなのかっ!?」
兼続は喚いた。
「誰が幸せになる!?誰も幸せになんかならないではないかっ!」
「あんたが幸せならそれでいい!」
慶次が堪り兼ねて喚き返す。
「俺が代わりになれるなら、幾らだって代わるさ!兼続が笑うなら、毘沙門天さえ蹴散らしてやるよ!!」
そのまま頭を垂れ、両肘を床についた。
金糸が床に流れる。
だが叫んで、叶わない事も知っていた。
死人には勝てない、そんなこと、分りきっていた。
なのに、それなのに、愚かしくも求めてしまう。
「…慶次………」
兼続は側の暖かさを拒絶しようとした。
慶次の胸を押し返そうと力を入れる。
だが、まるで藁にでも縋るように抱き締められた感触に。
兼続は堪えきれず押し返すのを止めた。
「…退いてくれないか…」
それが意味を成すか成さぬか、兼続にも分らないのだろう。
「頼むから、私に構わないでくれ…」
涙声で呟いた言葉は、どうしたらいいのか分らないと、言っているようだった。
慶次は兼続の上で震えていた。
「…兼続…、俺の気持ちは無下にするのか…」
慶次は兼続を抱き締めた。
兼続は先程の言葉とは裏腹に慶次に縋り付いた。
「…好きなんだよ………」
濃厚な口付けに、現が歪んでいく。
貪るように口を合せ、二人は無言のまま肢体を絡めた。
罪悪感が身を焦がすのか。
こんな形で始まった恋が、狂おしく熱を持っているのか。
今の二人には量り得ぬ事だった。
* * *
反魂香は確かに魂を現世に呼び戻せるのかもしれない。
しかし、連れられた御霊は愛しき人に触れることすら出来なくて。
己が思いを封じ込め、癒せる誰かを誘わせるのでは無いだろうか。
それはきっと、閉じ込めた苦しみが、癒せる誰かに移る、程に。
終