嗚呼柳緑而花紅









ある夕刻、出て行こうとする俺を兼続が自ら止めに来た。
「…慶次、戦がないからとて最近遊びが過ぎるぞ」
清廉潔白な力強い瞳が俺を捕らえた。
愛しい筈なのに、兼続を見下す様に見てしまう。
物憂さが感じられたのか、兼続は眉を顰めた。
「…確かに、慶次には平穏は退屈かもしれん…だが、遊郭狂いは頂けぬ…」
諭して説く兼続に、段々と胸焼けを感じ始めた。
言っていることは至極、御尤もなのにも関わらずだ。
「…色がなくちゃ、男は生きていけないもんだろう?」
切々と説き伏せていた兼続の話の腰を折った。
いくら温厚な兼続でも堪忍袋の緒が切れかかったのだろう。
饒舌だった口は押し黙り、無表情になった。
俺は、引導を渡して欲しかった。
もうよい、二度と顔を見せるな。
そう言って追い出してくれたらどれだけ楽だろう。
慶次は兼続の面と向き合いながら思っていた。
「…そなたを嫌いならこんなこと言う訳なかろう…」
沈黙を押し破り、兼続は言った。
途端、ずきりと心が痛んだ。
止めろ。それ以上言わないでくれ。
慶次はにじりと後退る。
「…慶次、悪いことは言わないから…今日は出て行くな。…そうだ、私と酒でも呑まぬか…語り明かそうではないか」
頼む、喋るな。
優形が眉を微かに顰めて、慶次を見上げた。
頼むから!
慶次は歯を食いしばり俯いた。
「積もる話も酒の席なら言えるだろう」
兼続は、慶次の袖をぽんと叩いた。
「触るな!」
慶次は兼続の手を払い除けた。
大声でがなり、慶次は鬼の形相で兼続を睨む。
兼続は、起きた事が信じられないのか目を見開き、慶次…と呟いた。
触れられた事で、心の底にしまい込んでいた感情が溢れ出した。
抑制すらきかない程後から後から溢れる。
「素面ででも言ってやろうか」
慶次は一歩ずつ兼続に近寄った。
兼続は尋常では無いと思ったのか身構える。
「…慶…次…?」
恐怖から声がうわずっているのがいい気味だ。
「…兼続、それが人の話を聞く態度かい?」
慶次は蛇に睨まれた蛙だと兼続を笑った。
「…あんた言ったよな、今日は出て行くなって…」
段々と間合いを詰める。
兼続が堪らず足を大きく引き逃れようとした。
「…逃げるのかい」
慶次は、素早く兼続の手首を握る。
「!?…慶次、何を…」
「兼続、謙信公はそんなに良かったかい」
兼続は、一瞬戦慄くと力一杯腕を振った。
「離せ慶次っ!」
しかし、握り潰すぐらいに強く締めてやり、もう片方も同様に捕まえてやった。
「…離してくれ…痛い…」
苦痛に歪む兼続の端整な顔。
その顔が、昔の主を思い出している様を思うと吐き気がする。
ぐっと手前に引き寄せる。
精一杯足を踏ん張って居るのか、土の擦れる粗い音がした。
「…あんたが悪いんだ…」
兼続が小さな声で止めてくれとせがんだ。
ふるふると髪を振り、垂れた頭から涙が落ちた。
「何が悲しい…?」
慶次は自暴自棄になりながら叫んだ。
「泣きたいのはこっちだ!」
慶次は兼続を無理矢理抱き寄せた。
ただ、兼続はがたがた震え頑なに口を噤んでいる。
本当に泣きたいのは俺だ。
思いも伝わらず、受け入れても貰えない。
慶次はもっと強く抱き締めた。
もう二度と触れることも出来ないだろう。
口もきけなけりゃ、視線すら合わせられないだろう。
「…兼続…」
名残惜し気に呼んだ。
兼続は名前を呼んだだけなのに、頭を左右に振った。
己の惨めさに、言葉も出ない。
慶次は首を竦め、兼続の髪の毛に接吻した。
離れる直前、目頭が熱くなり一粒涙が落ちる。
「…左様なら…」
慶次は腕を解いて、兼続を離した。
兼続はそのまましゃがみ込んで、虚ろに自身を抱き締めている。
俺は兼続をそのままにその場を離れた。
遠ざかりながら、兼続の呟いていた言葉を思い出す。
「…柳は………」
空を見上げながらきれぎれに言葉を紡いだ。
「…も無し……」
慶次は思わず立ち止まって、立眩む程に馬笛を吹き続けた。
柳は緑にして花は紅。
虎の交わる余地は無し。