繽紛





紅変



欄間に吹き込む春の嵐に、緑の花弁が混じる。
何かを呟く慶次の声が聞き取りづらくて、耳を寄せた刹那だった。
横から掻き抱かれ、押さえ込むように廊下に寝かされたときは、何が起こったのかまだよく分からなかった。
ただうつ伏せにされ、訳の分からぬまま瞳をあげると、光の届かない部屋の奥の欄間を、薄き緑の花弁が通り過ぎた。
「慶」
「…しばし、このまま…」
抱き締められているというよりは、掴まえられて居るんだろう。
なんだか酷く必死に思えて、私は黙ってその言葉に従った。
どれくらい経ったであろうか。
もう一度そなたの名を呼ぶと、何時もの底抜けの笑顔で、酔ったみたいだとばつが悪そうに言った。
覆いかぶさった体が離れ、私は身を起こした。
緑の桜が、西日に照らされ僅かに気味の悪い斑な緑になる。
そなたが酔うなんて珍しいと、また桜を眺めだした慶次の肩に触れようとした途端。
「お開きにしようか」
慶次は笑んで、廊下を逃げるように去った。
私もなんだか追いかけるのは頂けない気がして、慶次の屋敷を後にした。
そもそも、私が京に上ったのは慶次に会う為ではない。
灰汁までも、慶次と会うのはついでだった。
昨日はどうしたのだろうな、と思っていたのは日が経つごとに薄れていって。
執務にも追われて、屋敷の前を通る事も無かった。
そして京での用も終わり、故郷へ下る前日、慶次に挨拶でもと私は再び慶次の屋敷を訪れた。
屋敷に近づくにつれ、西日の加減かと何度目を擦ったであろうか。
垣根から見える緑の桜が。
「…紅を差している…」
これは誠に稀有である、この桜は花が緑であるばかりではなく、徐々に赤く色づくのか。
兼続は、まるで其れを己が一番に発見したかのように、慶次の屋敷に入り桜を目指した。
花を散らす風がどこからともなく吹いているのか、その花弁がまた舞い始めた。
無性に急かされて、屋敷の角を曲がる。
「………慶次…」
息を呑んだ。
幹の傍で慶次はしどけなく桜を見上げていた。
風が吹く向きを変える度に着物は靡いて、金の髪の毛が揺らいでいた。
後姿でも精悍だと分る男が、どうして果敢無さに蝕まれているようだった。
慶次は私に気付いたのか、散る花弁を一身に受けるように振り向いた。
無意識に歩み寄ろうとしていた足が止まる。
「…こいつも馬鹿だねぇ、桜を真似ても、成れやしないのに……」
己の着物に縋りつくような花弁を一枚抓んで、目を細める慶次。
「…こんなんじゃ、薄気味悪がって誰も近寄りゃしねぇ…まるで喜劇だ…」
ねぇ面白いだろう?
にかっと笑った目尻には、朱色がちらりと見え隠れする。
その笑顔の奥にある、怖気さえ感じる何かに、私は居た堪れなくなる。
兼続は何も言えずに身を翻し、その場を逃れた。
舞い散った桜が、走る足元で雪煙の様に舞い上がる。
慶次はまた抓んでいた花弁を離して、桜を見上げた。
「…止まれば良かったのにね……」
そして徐に桜から目付けを外し、屋敷から逃れた兼続を追うため、歩みを進めはじめる。
風に落ちる翠の桜は、慶次の背を押すように一層紅を称えて舞い狂う。