捕食
努々思うまいと思っていた。
しかしながら、降臨すべきして降臨した絶対的存在に抗う術も無い事は。
主君が家督を継ぐ前に、越後を寝床としていた白龍にて分る事。
風に散らされる事を拒む花も。
嵐になれば美々しく散る事を受け入れる他は無いのだ。
「…流石、女には困らぬ訳だな。」
兼続は囃子どころか音も無い板間で、誰に知られるでもなく一人で舞っている慶次を見た。
己に酔っていると言われれば其れまでの仕草であろうが。
慶次のはそのような安い一言で片付けられる代物ではなかった。
何か降りている、とりつかれているといえば言いのだろうか。
図体のでかさなどまるで気にならない、洗練された静けさに身のこなし。
見ているものが固唾を呑むほどの気高さは、まこと虎にでも睨まれたかの如く。
だが、足が竦んで逃げられない恐怖ではない。
ともすれば、これの糧になるべくして己が命があるのでは無いかと思わせる程の。
息をするのも忘れる、危うい美しさなのだ。
「…」
周りに竹林が見える気がする。
獲物を見つけ、竹を縫って威風堂々と歩みを進める姿が浮ぶ。
突然、錦絵の中の猛禽の瞳が私を見つけた。
背筋が粟立ち、その鋭い瞳に殺められると思った。
「…覗き見とは趣味が宜しいようで。」
慶次が私に近寄り、片方の眉を下げながら苦く笑う。
「…喰われると、感じた。」
兼続は咄嗟に、体が感じたまま訴えた。
「面白い事を言うねぇ…」
そして、己が発した言葉を悔やんだ。
それは作為の無い心が発した言葉ゆえに、何よりも言の葉にしてはならぬもの。
即ち、己は戦わずして負けたと言っている様なものなのだ。
兼続はその唇を己が手で塞ぐ。
この様な身の毛もよだつ思いは、二度目である。
幼き頃の、あのお方。
もう一人は、目の前の傾奇者。
「喰ってやろうか?」
はたと視線を向けるとそこには、目尻に朱の入った色香の悍ましい大虎。
その伸びてきた手が、まるで私の身に爪を立てて息の根を止めようとしていると感じる。
「…そのようなっ…!」
直ちに身を引いてその腕から逃れたが、もう虎にとってそこは縄張り。
右手で届かぬなら左手で捉えれば良いだけ。と、慶次に右腕を掴まれる。
「…椛の様な男だと思っていたが、成程、鹿の肉のように美味そうだ…」
「りょ、慮外な事を申すなっ!武士をし、鹿の肉だと…!?」
それがどれだけ滑稽な切り返しかなど、今の自分には痛い程分っていた。
負けを認めた時点で、喰われるしか手立ては残っていないのだから。
「…放せ、慶次」
慶次は腕を放した。
「……今度は喰っちまうぜ?」
勝ち誇ったような含み笑いに、兼続は振り払うようにその場を逃げるしかなかった。
俊敏にして美しい鹿が腕に爪痕を残されて逃げる様を、虎は目を細め見送った。
慶次は徐に庭先に下り、兼続によく似た青々とした椛を千切り、呟いた。
「…もう逃がさねぇ」
ふと風が吹き、椛が梢を鳴らしだす。
終