七十二





*大雨時行*



雨の匂いがする。
慶次は夢中で読んでいた冊子を伏せて、仄明るい外を見遣った。
手拭で顎や首筋を拭きながら庭に顔を出すと。
「おいでなすった」
案の定、地を穿つ大粒の雨が間隔を狭く降り始める。
あの御仁はいつもそうだ。
きっと雨男に違いない。
「まったくとんでもなく拍子の悪い男だね、あんたは」
来るといった日には殆どの確率で雨が降るのだから。
慶次はやれやれと、囲炉裏に火を入れる。
暑いことこの上無いのだが、きっと俺を目指してやってくるあんたは、濡鼠に違いない。
暫くすると聞きなれた足音が聞こえる。
「慶次、入れてくれ!」
雨に濡れたときはいつも、勝手口から声を張り上げる。
「また見舞われたねぇ」
慶次が真新しい手拭を兼続に渡しながら言った。
「今日こそは降らん気がしたのだ、なのに…口惜しい…」
雨に濡れた着物を脱ぎながら、兼続は真一文字に口を結んだ。
白い襦袢に手が掛けられた時、慶次は視線を逸らして、渡された着物を絞った。
「慶次、奥に上がっても良いか?」
「おう…」
慶次は空返事をして、脱ぎ捨てられた着物を絞ってやる。
足音が囲炉裏の方へ近付いたのを耳で聞いて、初めてはぁ。と息を吐く。
兼続は自信の色気についてどう思っているのだろう。
仮にも夜には抱いてやろうと思っている俺が、朝からその気で居るのを知らない訳は無い。
しかもあんたは、俺と同じ男だろう?もしかしてわざとなんだろうか。
雨の日に濡れてやってくる事は。
粗方着物を絞って、囲炉裏の傍に行った。
外は土砂降りだ。
「…慶次、済まない。寒いから勝手に借りたぞ?」
兼続は俺の群青に三日月の浮いた長着を肩に羽織って、囲炉裏に手を掲げていた。
それの裏地が深紅だと知って、其れを羽織っているならば、なんと罪作り。
慶次は其の侭、傍には座らずに縁側を目指した。
その背に兼続が言う。
「慶次、こちらに来ぬか」
「…俺はあついから、遠慮しとくよ」
外は雨の匂いが消えて、滝の側に来たような冷たさが首を掠める。
暑いはずなのに、何故かその冷たさが冷や汗を思わせる。
「だが私は寒いのだ、慶次…こちらに来て、手でも握ってみろ、分るから」
如何したのだろう。
今日はいやに、妖しい気持ちに襲われる。