七十二





*鹿角解*



松風で風を切っていた。
川辺を駆けて浅瀬を渡った、雫が割れた水晶のように光を吸って放った。
ふと手綱を引いて松風を止める。
雑木林の入り組んだ幹に紛れて、白い何かを見た。
「……白いもんなんて珍しい……生け捕るか」
松風は頭が良い。
そのまま乗り捨てて、慶次はさっき見た辺りに忍び寄った。
枯れた葉が土か何かに為り損なっていた上を歩いて、その白い姿を見つけた。
「…白い、鹿か……!」
それは丁度、青い椛が露に濡れている下に、雨でも避けに来たような佇まい。
縄に石を結んで投げようとしていた手が止まる。
気高く侵しがたい美しさ。
だがそれ故にこの上なく手に入れたい、衝動に駆られる。
生唾を飲んだ。
刹那。喉の鳴る音に、しなやかな細い首がこちらを窺う。
白い角の無い鹿が、青く澄んだ円らな瞳を俺に向けた。
「…直江…兼続……」
鹿はその言葉に、耳を動かし目を細め、途端山奥に駆けて行った。
慶次は己の発した言葉に動揺を隠せなかった。
似ていた、そっくり、まんま…だった。
兼続の面影が重なった。
そう、炎に捲かれながら友を助けるあんたを見たときのあんたが。
「…惚れているのかも知れないね……」
颪が吹いた。
青い椛が揺れて、纏っていた露が雨の如く落ち始める。