七十二





*戴勝降于桑*



面白くない。
兼続の屋敷に行って話をしていた。
別段取り留めの無い話だ。
だが俺はあんたと話せるだけでよかった。
それだけで、よかった。
青臭い恋を煩っていた。
あんたが喜びそうな事ならなんでもした。
それであんたが俺を必要としてくれるならそれでよかった。
ある日あんたは、桑の話をした。
そういえばそろそろ、桑の実が喰える季節だ。
俺は嬉々として、実を摘んだ。蚕に詫びを入れながら。
どうせ沢山摘んでも総てはあんたの口には入らないから、片手に余りもしない程度に。
冷たいほうが良いと思って、水に晒して器に入れて。
あんたは喜ぶかと思って。
俺は小さな期待を胸に、庭先から兼続を尋ねた。
だが途中で足が止まってしまう。
庭先に笊に沢山の桑の実が、水を切るように縁側に立てかけられてあった。
兼続程の男が、態々執務を置いて採りに行くわけはない。
きっと誰かの差し入れに違いない、のだ。
慶次は片手の器と共に近づいた。
よく見てみると、その黒い実の一部が時折浮いたり沈んだりしている。
間違って蚕も連れてきてしまったのか、それとも匂いに湧いたのか。
慶次は立ち尽くしたまま器を傾けた。
己の摘んだ実が、影に干されている実に当たり四方に飛び散る。
面白くない。
足元に転がってきた黒い実を、慶次は故意に踏み潰して屋敷を出た。
俺が摘んだものも、誰かが採ってきたものも混ざったら同じ色になったことも。
俺に向けられるはずだった顔が、誰かに向けられてしまったことも。
こんな結末になると知らずに、嬉しげに蚕に謝りながら。
実を摘んだ事も。
なにもかもが、こんなにも面白くない。