七十二





*田鼠化為■*



兼続の薬指には矢鱈と切り傷が有る。
白魚の如く白く長い見目の美しい手だけに、それは一際目立つ。
気になりだしたら仕方のない性分が手伝って俺はその傷がいつ増えるのか見ていた。
するとそれは朔の日に生傷に戻るらしかった。
朔に何をしているのだろうか。
何をするわけでもなく、背中合わせにあんたと居ても、訊けない事があった。
構ってくれと横顔を覗き込んでみても、瞳を合わせずにこりと笑むだけ。
「…そなたが今何を考えているか当ててみようか?」
兼続は徐にこちらに振り向き、耳元に口を近づける。
「…神に身を捧げているのだよ、血約だ」
慶次は冷静さを保つ事が出来ず生唾を飲み込んだ。
「真言を唱えるだけでは、私に神は降りなんだ故…」
代償が要るのだと、己の理念を語りながら兼続は笑う。
謙信公は不犯を勤めぬき、国土を安定し民を守る事だけを戒律とした。
然るに、軍神と崇められその身に毘沙門を纏えたのだ。
しかし私はどうだ?
妻を娶り、主家の発展を願い、天下を欲している。
煩悩の塊が神に縋るにはそれ相応の対価が要るのだ。
「…生血で墨を磨り護符を作っているのだ、よ?」
景勝様には内密にと口の手前に人差し指を立てる、青白い肌の兼続。
私一人の命で上杉が天下を治めれるならと正気が揺らいでいる瞳が語る。
「……血腥さに…誘われたのかもしれないねぇ…」
眉一つ動かさず紅でも引いた様な唇で、兼続は待っていた、と囁いた。