紅鏡









中てられて燻っていたのだろう。
ただ狂おしく。
煙の無いところに火はたたぬから。
それは、降り注ぐ恩恵のように、眩む程の輝き。
近づく度に、焦げるのだ。

 * * *

  紅 鏡

 * * *

恋女房にですかい?などと囃されて少し困る。
さらに二つ包んでくれと言うと、旦那も隅に置けませんねぇと。
ああ言われた手前、『つま』に買わない訳にはいくまいに。
京都に有る仮の住まいに帰り、私は片付けてある柄鏡出した。
そして一寸程の陶器に入った紅色の…印泥のような艶かしい物を取り出す。
化粧筆でそっと表面を撫でてみた。
「…しかし、け…化粧など…何十年ぶりであろうか…」
瞳を閉じると若かりし頃が蘇る。
歳を増した小姓に、目尻に朱を入れてもらい、鏡に映る己の姿を見せられて困った事があった。
与六に御加護あらんことを…
そう優しく微笑み、あの方はお優しくあるから…と。
兼続は微かに頬を火照らせ、いかん。と筆を置いた。
閨にてしかしないような化粧をして、堂々と私を訪ねてきた男がいた。
初見、破廉恥だと思ったが、その色気は日影を選んで歩ませるような陰鬱さは無かった。
暫時に、これが普通かと思ってしまうぐらいに豪放ながらも爽やかな振る舞いで。
一言で言うと、私はその有難さに魅せられた。
そしてその男は不思議なほどに人の心を解すのが上手かった。
隙を見せまい、漬け込まれると思っているのに、何時の間にか背を任せても良くなっていて。
意識し始めるとその洗練された仕草が、思いの他思慮深いのにも胸を打たれて。
唯単に私という、人間を見て、あんたに魅かれたんだと、地位なんてどうでもいいと。
笑いかけられて私は完璧に参ってしまった。
「…何を考えているのだ私は…」
再び化粧筆を取り、瞼に朱を乗せる。
そなたの紅より少し深い赤色だろう、椿のような色である。
私はどうやら二重であるので、その赤は思った以上に瞼に乗っているように見える。
「…す、少しやりすぎただろうか……」
兼続は筆を置いて、鏡を覗き込む。
気分はおおよそ、婚儀に挑む娘と変わらぬと思う。
常とは違う自分は想像以上に、別人だ。
「…もっと、さり気無くしなければ…」
最も誰も来ない日など、そうそう無いし、この様なことやはり羞恥心がある。
練習をする暇さえざらにあるわけでもないが。
少しこ慣れた風に目の前で朱を入れてやって、慶次を驚かしてやりたい。
そんな遊び心が働いた結果が、今の私。
伽を思い出して赤面するのも、次第に慣れて消えるだろう。
今日はもう良いだろうと、袷に入れてある懐紙を抓んだ。
「確か今宵は空いてるんだったよなぁー!?」
張り上げた声が案外近くに聞こえ、鏡に映る己の顔が蒼褪めた。
取り繕う暇もなく障子が開く。兼続は咄嗟に鏡や紅を正座している足の下に隠した。
足が板を擦る音が近づく。
「驚いたかい?あんたと飲むと楽しいと考えてたら、飲みたくなってねぇ!」
気配でどぶろくを振っているのが分る。
甕のなかで酒がたぽたぽと、音を立てている。
「気が付いたらあんたの屋敷の前だったん…兼続?」
訝しがるのは当然だろう。
慶次に振り返らないどころか、顔もあげないのだ。
その理由を今の慶次には知る由も無い。
慶次は顔を覗き込もうと、兼続の前に座った。
兼続はどうしようもなくて伏せた顔を更に隠すように、袖で視界を遮る。
「…隠されてると見たくなるのが性分。」
聞いた言葉に、逃げなければと目を見開けど後の祭り。
慶次は腕を掴んで横に除け、下顎に手をかけて俯いた顔をあげさせてしまった。
「…………ぁ、ぃゃ……こりゃぁ……」
羞恥に染まった頬に、婀娜っぽい目の朱。噛んでいる唇がいつも以上に赤くて。
滲んだ瞳が、恨めしそうに慶次を睨んだ。
「……放さぬか…」
放つ声は震えてしまっている。
兼続は居た堪れなくなり、視線を逸らせた。
刹那。
睫までが見えるほどに近くなる慶次の芳容が、己の顔に影を落とした。
息が掛かる、そう脳内で思った時には、唇が重なっていた。
柔らかいと感じたら、既に啄ばまれる様に角度が変わっている。
知らないわけではない、だが不思議な位、体が動かない。
顎を掬っていた手が、何時の間にか輪郭を撫でるように触れていて。
腕を掴んでいた手が、私の握り拳を包むように覆っていた。
慶次の瞑っていた目が開いて、目を細めて、急に強く抱き締めた。
体が変に火照ったのが己でも分る。
目を細められたとき、胸が撥ねるように疼いた。
瞠目が陶酔に伏せられるのが自分でも奇妙だと思った。
けれど、深奥から湧き上がる感情がそれさえも掻き消す。
慶次は顔を微かに遠ざけ、直ぐ兼続を己の肩口に埋めた。
「…戯れと、片して欲しくない………」
逸る胸が、傾いでいた体を支えていた片腕を。
抱き留められた際、一緒になった片腕を、そなたの背に回させる。
己の行為に驚きながらもそれは答えには十分だった。
「…………闡明にしてくれたもの、だな…」
正座していた足元から、隠してあった物が見えていて兼続はぎこちなく離れてそれを見せる。
「…何で、買ってしまったのか。解かり兼ねていた…のだ…」
小間物屋に寄ったことも、二つ手に入れたことも。
『つま』にと、言い訳に浮かんだ顔が、慶次だったことも。
言い訳がましく、化粧ぐらい出来ると見せ付けたいと思ったことも。
伽を思い出しては落ち着けと、言い聞かせる自分も。
「…惚れていたのだ…、揃いにと、思った頃には、もう…」
真っ新の小さな陶器を慶次に差し出す。
顔なんて窺えないので、顔を伏せながら。
「……似合うと思う、そなたに付けて欲しい。」
震えている手に乗せられた陶器を、慶次は上下から包みこんだ。
「大事にする、勿体無ねぇ…大事にする、必ずだ。」
兼続の顔が慶次を捉え、太陽に照らされたの如く、破顔する。
「そうか…そうか!嬉しいぞ、嬉しいぞ!慶次!!」
襲うような勢いで慶次の懐に突っ込んだ。
そして、慶次もまさか行き成り突っ込んでくるとは思わず、受け止めながら、倒れこむ。
「おいおぃ、痛いぜ…兼続…、ははは、嬉しいぜ兼続、…好きだぜ、兼続!!」
それは、飛び込むと思った以上に、温かくて心地が良くて。
焼け焦げても悔いは無いと思えるぐらいに、眩しい太陽だった。