今宵が、現世で最後の夜になることは。
あなたに召されたあの夜からの定め。
* * * *
桐 一 葉
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首尾は万全だ、抜かりない。
三成は黄孔雨を眺めつつ鉄扇を広げた。
秋口の言いようも無い寂寞が俺達を包んでいた。
この夜を、強いて言葉を選び表すなら。
そう無性に、命数が尽きようとしていると感じられる夜だった。
主の癖はもう、手に取るように分かっている。
心持が穏やかでない時には、頭の他にまで神経が行き渡らないのか。
手持無沙汰と言わんばかりに、鉄扇を開いたり閉じたり、髪を弄ったり、唇を触ったり。
一人前の武士が、と、目にしたときには少しの呆れと、親近感を覚えたのは昨日の事のようだ。
遊郭に押し入る様に姿を現したあなたは、暫くは地を見せてはくれなかった。
同士が欲しいと言った割には、手の内を見せないと。
ぼやいていた矢先、あなたは一言も言ってなかったのに俺の屋敷に押しかけて来ましたね。
『盃を交わすぞ左近、返事は要らぬ』
なんとも横暴な言い草で。
ですが、あの時に現れたあなたが再び来られたようで。
酒を酌み交わすにつれ酔いの回ったあなたは、思いがけぬほどに饒舌でしたね。
『…俺は、その…どうしても相手を不愉快にさせるのが上手い…不本意だがな』
胡坐をかいて目を細め少しだけ、悔しそうに。
『どうでもいい相手ならそれでもいい…だが…大切に思う者にまでそうさせてしまう…』
この口が許せんと、あなたは酔いも乗じて頬を捻られていましたね。
『左近…俺は、利だけでは召さん!戦の腕も然る事ながら、俺が反りを合せられそうだと…そう…』
精一杯の好意を、少ない語彙でどう示したらよいのかと。
眉を顰め熱弁してくださったとき。
俺は、あなたを死ぬ理由にしても良いかと思いましたよ。
「殿、そろそろ俺にも詳しい首尾を教えてくださりませぬか?」
三成は左近を見て、直ぐ目を逸らした。
「勝ち戦だ、明日でも構わんであろう。」
それが不安の裏返しだという事は、一連の仕草で分かっていた。
敢えて聞いたのは。
あなたと少しでも、何でもいいから他愛の無い話をしたかったからかもしれない。
「自分で言うのも憚られますが、軍略家の意見は必要有りませんか?」
くっと、唇に力が入った気がしたが、三成は背を向けた。
「…出来れば明日頼む、今は…」
義兄弟と共に描いた未来に文句はつけないでくれと、背中が語っていた。
左近は薄く笑い、瞳を閉じる。
…石田三成を傍で感じる度、頑なな理想と高慢さに己と近いものを見た気がした。
ただ、あなたは狡賢くは無かった。
俺と違って。
矢面に立ってでも己の意思を貫く様は、どうせ世の中はと傍観していた俺にとって眩しかった。
それと同時にあなたのその危うさに、俺は死の匂いを感じた。
あなたが義兄弟と会った時もそれは然り。
殿の義兄弟は噂に名高い彼の人だとは知っていましたが。
やはりあなたと同じで、どこかに危うさを秘めていて。
だからこそ、あなた方の文が引切り無しだったのも俺には嬉しかった。
「左近…?」
訝しげな声と共に、女子に生まれればさぞかし持て囃されたであろう顔が俺に近寄った。
「……明日は大一番ですな、気が昂るのも致し方ありませぬ。」
蝋燭の明かりが揺れた。
左近は三成の瞳がどうしようもなく恐れを抱いていたのが分かった。
現世に未練が残るからと、残ってしまいそうだと思って。
触れないで居ようと決意していた手が、三成の頬に触れていた。
三成は驚きから顔を引いたが、左近は強引に腕を引き寄せ腰にまで手を回し思い切り抱き締めた。
見ているのは、蝋燭の炎のみ。
左近は三成の肩口に顔を埋め、言葉を殺した。
俺はね。
死に場所を探していたんですよ。
元主の不義に愛想を尽かしてからずっと。
そこにあなたが現れた。
どんなに禄を積まれても誰にも頭を垂れなかったのは、現世がどうでも良くなったから。
戦、戦と殺しあってその先に天下があるとして。
天下の先を考えたとき。
俺は生きる意味を無くしたと思ったから。
太平の世に軍略家と称えられた俺に生きる術など、初めから無かったんだと。
そう悟ってしまった。
戦にしか生きる方法が無い俺は、戦にしか死に場所が無いと。
戦で死ぬしか、この切なさは拭えないと思った。
「左近…おい、…左近……」
強張った体は妙に細く感じられて、やはりあなたには死の匂いが纏わりついていて。
やっと明日、俺の生涯に終止符を打てるのだと。
感じた刹那に涙が頬を伝った。
「…っ」
あなたと共に居れば死ねると思った。
実際、この戦懸念する所は多々ある。
俺はあなたのように理念だけでは物事を計算できない。
志だけでは、向こう側に傾いでいる指針をどうすることも出来ない。
とうとう、死ねる。と、思った。
だが…
どうして、こんなに苦しいのだろう。
待ち望んだ死は、日を追うごとに胸を締め付けた。
心して討ち死にできるのであれば、心持は清々しく己を褒めてやれる程なのではと思っていた。
この日の為に生きてきたのに。
あなたの。
あなたの思い描く太平を。
見て、みたい…などと……
「殿……どうか、生き急ぎませぬよう…」
左近は己の夢を語らぬように言葉をすり替えた。
八百万の神よ。
自棄に生きていた己を今更詰っても仕方が無い事は知っております。
そして、この期に及んで生き永らえたいとも申しません。
ただお目こぼしを下さるのなら。
輪廻など望みませぬから、どうか。
俺の命の総てで、殿を守ることの出来る力を授けて下さい。
三成は只ならぬ様子で黙る左近を無言で抱き締めた。
雨音は優しく和らいだ気がした。
終