chrysoberyl cat's eye









二人で過ごした世界が廻ったその日から。
なんとなく、分かっていたのかもしれない。

 * * * * * *

 chrysoberyl cat's eye

 * * * * * *

噂というものは、気が付けば鰭が付いて泳ぎ回っているものだ。
そう信じたかった。
例えば、慶次が遠呂智に加勢しているなんて。
本当に笑える冗談だと笑ったことは、信じなかったことは。
己の事ながら鮮明に覚えている。
そうしなければ、私の心がどうにかなってしまいそうだったのも。
良く覚えている。
でもいざ、出会ってしまった時。
対峙してしまった時。
「慶…………」
あんなに呼びなれた、慶次という名前も呼べなかった。
あの時となんら変わらない。
神々しい金髪だって、大胆不敵な笑みだって。
それから、少し目を伏せると途轍もなく儚くなる顔だって。
何も変わっていないのに。
眺めている世界だけは、天と地のように間逆で…
混沌を表したような紫の空。
吹き抜ける風は生暖かく、湿っぽい。
「…まさか、あんたとは……」
槍を担いで視線を再び私と合わせたそなた。
視線がぶつかるたび、胸の奥がくすむのを感じた。
信じていたのに。
刀を握った腕が重い。
信じて居たかったのに。
「…どういうことか、…説明してもらおうかっ……」
重い刀を振り翳し、兼続は叫んだ。
「内容奈何に由っては、そなたを許すことは出来ないっ!」
睨みたくて睨むわけではない。
何でもいいから私が理解できる答えを聞きたかった。
どれだけ身を窶せさせられたと思っている。
身を安じ、どれだけ…どれだけ…
黒い雨がぱらぱらと降り始めた。
慶次は少しだけ困ったように頭を傾げて、朱の引かれた目を伏せた。
あちらこちらの喧騒が急に静まり返った気がした。
「…兼続が、生きてて…良かった…」
兼続は慶次に飛び掛り、刀を振り下ろす。
慶次は受けた刀を横に払って押しやった。
「とんだ茶番だっ、遠呂智と話す内に大和言葉も忘れたかっ!」
地に降りた兼続は間合いを詰めて、慶次は槍の柄で刀を受け止め鍔迫り合いになる。
踏みしめた足は、地面にのめり込み腕は折れそうに痛い。
だが、今逃げる訳にはいかない。
目の前の慶次は押し合いながらも眉を下げ、兼続…と名を呼ぶ。
その声が、どうして切なくて。
兼続は堪らず押し切って、間合いを取り直した。
「…済まん、兼続…」
続く言葉が予測出来て、兼続は喋るなと言った。
しかし慶次は聞いてくれと続ける。
「…やっと、やっと俺も知己と呼べる男に出会えたんだ!」
いつかの思い出が蘇る。
私と三成の仲をそなたは羨んでいた。
頼れる知音。何気ない話で盛り上がって、取り留めの無い話で酒を飲んで。
そんなあんた達が羨ましいよと。
一度だけ、たった一度だけだったが言った言葉を思い出した。
「…だがっ…それでも何故…よりによって、遠呂智なんだ…」
兼続はそうは言ったものの、それ以上の言葉は言えなかった。
謙信公が、あいつは不義だと言ったから。
だから私は不義に屈する訳にはいかないと太刀を取った。
私には謙信公が義の全てで、謙信公が認めないものは義では無かった。
でも思い返してみれば。
遠呂智という男の情報が私の耳に入る度に。
どこか。
どこか、そなたに似ていると。
価値観が似通っているように思えると。
下手をすれば、そなたはその男に同じ匂いを感じるのではない…かと…
「…分かった!もういい!そなたと話すことなど何も無いっ!」
兼続は認めたくない答えを自分から導き出した。
とどのつまり、私は切り捨てられたのだ。
慶次は私ではなく、友を選んだのだ。
たった、それだけの事。
「兼続、俺はあんたを嫌いになったんじゃないんだ!」
槍を構えることもせず、慶次は私に近寄ろうとする。
兼続は、滲んだ瞳で慶次を睨んで喉仏に剣先を突きつけた。
慶次の顔色が変わった。
「俺は今でも兼続を」
「いくらお前が天に愛されていても、全てが手に入る訳じゃない!」
雨脚が強くなる黒い雨は、兼続の白い着物をじわじわと黒く染める。
「そなたは、今、その友さえ裏切ろうとしているんだぞっ!!」
「…兼」
「指一本でも私に触れてみろ!私は決して慶次、お前を許さない!!!」
慶次は暫く黙ったあと、雨に濡れて垂れ下がった前髪を掻き上げた。
目尻の朱が、黒い雨に溶かされて血の涙を流しているように見える。
「………」
そしてこっちが泣きたくなるほどににこっと笑って。
「……ありがとう…」
と言った。
伏せた目が再び開かれた刹那に零れた透明な雫が、金色に光ったのは。
きっと、きっと。
目の錯覚。
慶次はまもなく松風に跨り、一瞥もせず私の前から姿を消した。
降り頻る雨はまるで闇を作り出そうとしている如く、水溜りは深い闇色をしている。
これでそなたは…欲しくて欲しくて堪らなかった友を裏切らずに済んだ。
情人なんて、慶次のひととなりと器量で直ぐにでも出来るだろう。
だが、友はそうはいかない。
同じ気持ちで分かり合える友は、一度逃せば死んでも廻り合えないかも知れない。
これで…良かった…
「………っぅ……」
兼続はその場に蹲り、勝手に洩れる泣き声を殺した。