灰色の天が己が色を映した水面を砕く。
庭の池に雨が滴り、輪を広げ、ぱらぱらと水音を増す。
虎の横顔が、月を探している。
* * * * *
朝 雲 暮 雨
* * * * *
「…忖度することすら…ままならぬ…」
途方に暮れた兼続は行厨を風呂敷に包んだなり空を見上げてごちた。
何度流れたか分からぬ花見だった。
桜に菖蒲に紫陽花に百合…慶次は花盛りになる度に兼続を誘った。
そしてその度に、当日は雨模様となるのである。
勿論初っ端、兼続は自分は雨男故に一人で行けと促した。
しかしながら、慶次は二人で見たいのだと頑なに誘い続けた。
「…なんと詫びれば良いのだ…、もう文句も浮ばぬよ…」
昨日、山に雲が笠を被ってなかったからきっと晴れるよ、だから…
誘い人の言葉を思い出し、兼続は唇を食んで廊下の柱に手を添えながら俯いた。
「…私の定め故に、反故にばかりするのなら、もう約束などしないほうがましだ…」
その場に腰を下ろし、兼続は風呂敷を広げた。
米を混ぜた麦飯を詰めた行厨を眺め、溜息を落す。
思いとは裏腹に庭先の雨脚が段々と激しくなり、何故晴れてくれぬのだ!と怒りに任せて空を仰いだ。
「…俺は時機が悪いねぇ、今日もまた天候を見誤っちまったよ。」
刹那に目前に現れた憂い顔の虎に、兼続は慌てて、今のは…!と頭を横に振る。
兼続は落ち込みすぎていて、庭に現れていた慶次にも気付いてなかった。
その顔を苦くして、和傘をたたみながら慶次が兼続の隣に座した。
気まずさで胸が張り裂けそうになるのも無理は無い。何度御破算にした花見であることか。
次こそは次こそはと期待していた分、罪悪感もそれに比例してふり幅を増した。
「…………申し開きの仕様もない…」
覇気のない声音に、慶次は眉頭を寄せて頭を傾げた。
「…やはり、私は天に嫌われておるようだ…、今度の菊見などは…一人…で…」
過ぎることを知らない雨が、徒に屋根を打ち池を打ち音を掻き消す。
返事が聞こえないことに、不安げに慶次の顔を窺う兼続。
見上げた横顔は降る雨を見上げて居た。
呆れさせたのだと、兼続は眉を顰めて行厨に視線を移す。
「……雨は嫌いかね?」
ポツリと慶次が呟く。
兼続は顔を窺わぬまま、雨音を払うように声を震わせた。
「…忌諱の念に苛まれ…見たくも無い…!」
重箱の隅に力を込めた。やり場の無い思いが、指先に現れたのだ。
慶次は途端、その行厨を取り上げ、不恰好なおむすびを奪う。
そして美味そうに平らげながら、笑みを零した。
「俺は、雨、…好きだぜ?」
口の端に弁当を付けながら、慶次は己の分の水筒で喉を潤す。
「これ程までに水を差すのに、どうして…!?」
兼続は思わず声を荒げた。
まるで、私だけがそなたとの花見を夢見て舞い上がっているようではないか!
異を唱えようと再び見上げるとぶつかる視線。
すると慶次は大きく仰け反って、大層苦く笑った。
「第一義…いやぁ魂胆と言う方が似つかわしいだろうねぇ…」
尻すぼみに消えた言葉から暫くして、慶次は流し目で私を見た。
それは言葉さえ失う程の、今迄見たことも無いような濃艶な眸だった。
図らずも致し方なく、私は視線を逸らせた。
「…愛でたいのは、あんただよ。」
届いたとんでもない言葉に、何も言えずに口を徐にぱくぱくと動かしながら、耳、頬、手とを赤く染める兼続。
不意に伸ばしてきた逞しい手が、分けている前髪を微かに掠めて、ん?と笑う。
痛い位の熱い視線を向けられているように感じて、逃げるように眸を他所へ遣る。
そんな兼続に悪戯するように、慶次は体を起して赤い耳に口を寄せ囁く。
「…本当はあんたが居れば…花なんてどうでもいいんだ…」
ぞくっと背筋を粟立たせ、耳を押さえながら助けでも請うような顔で慶次を見上げる兼続。
「…雨音に紛れる喘ぎ声ってのも乙かもねぇ…」
「待っ…待て…、待つの」
「…なんて、冗談。」
言うと同時に、何時もの屈託の無い笑顔に戻った慶次は、人の顔を指差しながら蛸みたいだと揶揄する。
兼続は今度は恥辱に顔を赤らめる。
「そなた…人の心を弄ぶのも大概にしろっ!」
張り上げた声は、もう何の感情から齎されたものかなど不明である。
…さすれば…と慶次は言い、廊下に端坐して真摯に顔を見詰めて言った。
「虚言にはあらず。真の心と寄せると書きて、懸想だつと読み申す。」
兼続は最早、真面目腐った何時もとは違う仕草に翻弄され、ぐうの音も出なかった。
空は相変らずの雨模様。
輪を広げては直ぐ消える波紋は、殊更私を心を乱す慶次の言霊のよう。
再び触れた虎の指先は、今度は離れることは無く、輪郭をなぞって赤い月を掴まえる。
しっとりと降る雫に隠れる甘い吐息が、やがて雨に塗れて地に落ちる。
終